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Channel: 黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)
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三池炭鉱 #16:大浦坑

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シリーズでアップしている三池炭鉱。
文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
今回はこのシリーズの最初の頃の三池炭鉱 #03:沿革〜後編の冒頭で触れた大浦坑です。

三池炭鉱

明治6年(1873)、官営となった三池炭鉱で、
最初に洋式の炭鉱技術を投入して開削されたのが、
大浦坑でした。
画像は沿革の記事でもアップしました、
『筑後地誌略』に掲載されている官営時代の大浦坑の様子。
※画像はクリックで拡大します
左右のページが一連の場所を表したものなのか、
それとも異なる場所を表したものかは判別しがたいですが、
右頁の蒸気機関で動く巻上機から伸びるワイヤーが、
左頁の斜坑のトロッコに繋がっていると考えると、
途中、多少の省略はあるものの、
一連の場所を表したものではないかと想います。

右頁を見ると、空の炭車は人が押し、
石炭を搭載した炭車は馬が引いているのが見てとれます。
また、右頁の煙突の裏では、
露頭した石炭を手掘りで採掘している様子などが描かれ、
官営時代の炭鉱の様子がわかります。





三池炭鉱

「大浦坑 官営時代の少年労働」と題された写真。
囚人労働が行なわれていたことは龍湖瀬坑の記事でお伝えしましたが、
囚人に限らず、少年も沢山労働力として使われていたんですね。





三池炭鉱

明治22年(1889)の大浦坑。
木造の立屋が建ち並ぶ坑口付近の様子。
明治22年と言えば、三池炭鉱の経営が、
官営から三井になった年。
おそらく官営時代からあった大浦坑を、
三井が記録として撮影したものではないでしょうか。





三池炭鉱

明治31年(1898)の大浦坑。
手前には軌道を走る炭車も写り、
奥の施設からは至る所から蒸気が立ち上っています。
まさにスチームパンク時代の炭鉱の様子ですね。

その後明治40年(1907)に第二斜坑が開削され、
二本の斜坑体制で採掘されましたが、
大正15年(1926)にその役目を終えます。





三池炭鉱

昭和44年(1969)の大浦坑斜坑口。(高木尚雄氏撮影)
大浦坑は戦後一時期復活し、
昭和31年(1956)まで使われて時期があったようです。
なので、昭和44年でも、写真の様に、
そこそこ奇麗な姿て残っていたのだと想います。





三池炭鉱

尚、大浦坑の坑口は2つとも現在でも残存しています。
ただし、市の一般廃棄物最終処分場の敷地内のため、
普段見ることはできません。
画像の右奥に閉塞された坑口の跡があるそうです。
この時は時間もなく、坑口まで見ることはありませんでしたが、
市役所に申請すると見学も可能な様です。

フクダジマ探検記様のサイトページに大浦坑を見学された様子がアップされています。
両坑口の現在の様子もアップされていますので、
是非ご覧下さい。





三池炭鉱

また、以前にアップした三井港倶楽部の記事で触れた、
敷地内の残る『大浦坑遺址』は、
大浦坑で使われていた捲座の礎石、
および明治14年(すなわち官営時代)に造られた油小屋の煉瓦、
を用いて、大浦坑の記念碑として造られたものだそうです。

既に、コンクリートで塞がれ、
往時を偲ぶにはあまりにも姿を変えてしまっていますが、
官営時代の三池炭鉱を今に伝える遺構として、
是非とも残ってもらいたいと想います。



【大浦坑】

福岡県大牟田市大浦町
道が行き止まりになっている所までは行け、
金網越しに坑口を確認することは可能です。

三池炭鉱

三池炭鉱 #17:七浦坑

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シリーズでアップしている三池炭鉱。
文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
今回は七浦坑です。

三池炭鉱

七浦坑は、明治16年(1883)に稼働開始した、
大浦坑に継ぐ官営時代の主力坑で、
その後第二竪坑と第三斜坑が造られ、
昭和6年(1931)まで稼働した坑口でした。

約40年稼働した七浦坑から産出した石炭は、
主に上海に輸出、外貨獲得に貢献したそうです。

写真は大正末期の七浦坑ですが、
少し珍しい形の竪坑が写っています。
また高さのある4本の煙突や、
煉瓦造りの建屋も幾つも見え、
規模の大きな坑口施設だったことが伺えます。





三池炭鉱

写真は現在の七浦坑第一竪坑巻上機室。
(大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ様所有)
現在では、第一竪坑巻上機室の建屋や、
竪坑の煉瓦囲いおよび櫓の一部が残存。
最初の写真に写る竪坑櫓が第一竪坑ならば、
その左隣に移る、屋根が開いている建物が巻上機室なので、
おそらく現存する建物だと想います。

前回アップした大浦坑は、
既に官営時代の施設は残存していませんが、
七浦坑の巻上機室はまさに官営時代のものなので、
是非とも残って欲しいものです。

また、官営の時代には、
これまでアップして来た大浦坑、七浦坑、宮浦坑の他にも、
三池炭鉱で最初に坑底(坑道の一番深い所)に排水用ポンプを設置した、
明治10年(1876)操業開始の三ツ山坑や、
大浦坑などの坑内排水坑として、
明治20年(1886)から操業開始する早鐘坑など、
多くの坑道が造られていました。



【七浦坑】

福岡県大牟田市合成町
今回は時間がなく見学出来ませんでしたが、
いずれ機会があれば見てみたいと想います。
『筑後の近代化遺産』(弦書房刊)によると、
許可を求めれば見学出来る様に書いてありますが、
詳細はわかりません。

三池炭鉱

三池炭鉱 #18:勝立坑

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シリーズでアップしている三池炭鉱。
文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
今回は勝立坑です。

三池炭鉱

前回までは官営時代に開削された竪坑をアップして来ましたが、
今回からは三井時代に開発された竪坑です。
写真は明治31年(1898)の勝立坑。
勝立坑は元来官営時代に着手されていましたが、
三池炭鉱の最大の大敵である大量の地下水に阻まれ、
結局操業することは無かった竪坑でした。

それを三井の時代になって、
團琢磨が当時国内最大であるデビーポンプを導入することで、
湧き水問題を克服し、操業に至った竪坑でした。





三池炭鉱

デビーポンプ原動部分の据付けと題された写真。
デビーポンプに関しては既に沿革〜後編や宮原坑の記事でお伝えしましたが、
写真に写る竪坑櫓の手前側のものがデビーポンプだと想います。

また、写真に写る竪坑櫓は、
現存する万田第二竪坑や宮原第二竪坑の櫓のように、
細かな鉄骨の組み合わせではなく、
シンプルな鉄骨構造の櫓だったことが分かりますが、
現存しない宮原の第一竪坑もまた同様の構造の櫓ででした。





三池炭鉱

沿革〜後編の記事でもアップしましたが、
改めて当時国内最大だった勝立坑のデビーポンプ。





三池炭鉱

写真は昭和14年(1939)の勝立二坑跡俯瞰と題された写真。
勝立坑は第一竪坑が明治28年(1895)、
その第二竪坑が翌年に始動し、
昭和3年(1928)まで操業した竪坑でしたが、
実は第二竪坑は、
昭和23(1948)年に一度再開坑され、
再び昭和25(1950)年に再閉坑されています。
その理由はわかりませんが、
勝立坑は操業が終わったあとも閉坑せずにいたので、
戦後の一時期、再開坑出来たのだと想います。

一般的に明治時代の竪坑は四角く造ることが多いですが、
この竪坑の跡は円形をしています。





三池炭鉱

写真は昭和14年(1939)の勝立坑跡竪坑櫓台座と題された写真。
1つ上の写真を見ると、第二竪坑の周囲には、
壁状の構造物が隣接していますが、
この写真の周囲には、壁状のものが隣接していないので、
この竪坑は第一竪坑の跡ではないかと想います。

写真を見る限りこの竪坑も閉塞していないように見えます。
またこちらの竪坑は四角い穴のように見えます。





三池炭鉱

現在の勝立坑第二竪坑跡。
(大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ様所有)
現在では第二竪坑の基礎部分の一部が残るのみです。
コンクリートの塊の下部を見ると、
煉瓦造りのアーチ状の構造が見えますが、
これがおそらく2つ手前の写真の、
右寄りに写る部分だと想います。



【勝立坑】

福岡県大牟田市新勝立町
ここも今回の見学では訪れていないので詳細はわかりませんが、
竪坑の基礎までは近づける様です。
google map の航空写真を見ると、
四角い構造物がはっきりと分かります。

三池炭鉱

三池炭鉱 #19:三川坑

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シリーズでアップしている三池炭鉱。
文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
坑口施設の最後は三川坑です。

これまで沢山の三池の坑口をアップして来ました。
江戸時代から操業する龍湖瀬坑や生山坑、
明治初期の官営時代の大浦坑、七浦坑、宮浦坑、
そして三井三池炭鉱の黄金期を築いた、
勝立坑、宮原坑、万田坑、四ツ山坑、
そして最後に操業していた有明坑。
しかし、今回の三川坑は、
戦後最大の労働争議の舞台となった坑口でもあり、
また戦後最大の産業事故が起きた場所でもあり、
三池炭鉱の足跡という枠を越えた歴史的意味を持つ、
最も重要な坑口施設と言っても過言ではないと想います。





三池炭鉱

三川坑は第二次世界大戦の前夜、
昭和15年(1940)年に開削された坑口で、
その後閉山までの主力坑でした。
戦後、石炭増産政策のもとでは、

現在、文化財などの対象とはなっていませんが、
その多くの施設が現在でも残存しています。
その門は、永く閉ざされていましたが、
一昨年(2012)の秋、初めて一般公開されました。





三池炭鉱

草むらの中にひっそりと残る三川坑の施設群。





三池炭鉱

事務所跡。
さすがに最後まで操業していただけあって、
施設に歴史の趣はありません。





三池炭鉱

事務所を越えて暫く進むと、
小さな売店の跡の様にも見える建物がありますが、
実はこれが入坑口の跡です。
このシャッターの奥に階段があり、
斜坑の坑口へと繋がっていました。
今でも坑口までの通路はそのまま残っているそうです。





三池炭鉱

入坑口を左に見ながら通路は右折します。
そしてその奥にあるのは繰込場。
繰込場とは入坑する前の点呼などをとったり、
その日の作業の安全を祈ったりなど、
いわば入坑の準備室みたいなものです。





三池炭鉱

繰込場の建物は、最初の事務所とかとは違い、
完全な木造で、その時間経過の永さを感じさせてくれます。





三池炭鉱

外階段も全て木造です。





三池炭鉱

さらに奥へ進むと炭鉱風呂のあった建物も残っています。
勿論、風呂も残っているそうですが、
この見学の日、内部までは公開していませんでした。





三池炭鉱

浴場から小さなトンネルを抜けて更に奥へ進むと、
圧気室も残っています。
圧気室とは、坑内で使用する圧縮空気を製造する場所です。
こちらも事務所棟と同様、建屋はあまり趣がありませんが、





三池炭鉱

内部には沢山のコンプレッサーが残存し、





三池炭鉱

そのルックスは圧巻です。
ただ、屋根が一部崩落していて、
放置するとコンプレッサーも錆び付いてしまうと想うので、
なるべく早く屋根の修理はした方がいいと想いました。





三池炭鉱

繰込場や圧気室等はコの字型に配置されていて、
それらに囲まれた真ん中にトロッコの点検場があります。
この画像はトロッコの点検場を坑口とは反対方向に見ていますが、
振り返るとその先に、



三池炭鉱

歴史のオーラを強烈に放つ第二斜坑の坑口が見えます。
当然坑道は塞がれているものの、
坑道手前の建屋が残っているので、
坑道と繋がる斜坑の操業時の雰囲気がとてもよく伝わります。





三池炭鉱

坑口の付近には沢山のトロッコや人員運搬用の車輛が、
錆び付いた状態で横たわっています。





三池炭鉱

三川坑初の一般公開ということで、
この日は、沢山の報道陣も取材に訪れていました。
同時に、この三川坑でお仕事をされた方々も、
沢山いらっしゃっていました。
そこら中でインタビューが行なわれていたので、
否が応でもその会話が耳に入って来ましたが、
その多くは炭塵爆発に触れたものが多かった様です。





三池炭鉱

トロッコや圧気室の屋根に限らず、
その多くの施設の老朽化は否めません。
三川坑は三池炭鉱最後の生き証人として、
是非とも保存し、
その意義を後世へ伝えてもらいたいと想います。




【三川坑】

福岡県大牟田市三川町
地図をご覧になってもお分かりの様に、
現在でも敷地内には沢山の施設が残っています。
また2014年以来、毎年11月の第一週末には、
一般公開されている様です。

三池炭鉱

三池炭鉱 #20:三池港

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シリーズでアップしている三池炭鉱。
文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
今回は三池港の諸施設です。

三池港は明治35年(1902)に團琢磨の指導のもとで着工。
團琢磨は三池港の築港に祭し、以下の様に述べています。

「石炭山の永久などという事はありはせぬ。
無くなると今この人たちが市となっているのがまた野になってしまう。
これはどうも住民の救済の法を考えて置かぬと
実に始末につかぬことになるというところから、
自分は一層この築港について集中した。
築港をやれば、築港のためにそこにまた産業を起こすことができる。
石炭が無くなっても他処の石炭を持ってきて事業をしてもよろしい。
築港をしておけば、何年もつかしれぬけれども、
いくらか百年の基礎になる」

その言葉通り百年経った今も、
三池港は大牟田市の重要な施設として活躍しています。





三池炭鉱

三池港の諸施設の中でも最も重要なものの1つが、
「閘門(こうもん)」と呼ばれる水位調節扉です。
元来潮の干満が激しい大牟田湾で、
干潮時にも石炭積出用の大型船舶を停泊出来るようにと、
開閉式の扉を設置することで、
港内の水位を維持出来るようにした施設です。

画像は遊覧船からの光景。
この日は満潮に近かったため、
閘門が閉まることはありませんでしたが、
干潮時にはいまでも開閉が行なわれ、
港内の水位を調整しているようです。





三池炭鉱

堤防にしっかりと収まっている閘門の片側の上部。
閘門は築堤によって狭くなった場所の両側から真ん中に向かって開閉し、
中央で閉じ合わさると、水の出入りがなくなる構造です。





三池炭鉱

閘門が開いている時には、
閘門の手前にあるスライド式通路で、
対岸と行き来します。
手前に写るのが両側から伸びる途中のスライド式通路。
画像奥に写る青い4本の柱の部分が閘門の一方の扉部分です。





三池炭鉱

閘門に隣接する事務所内にあった閘門の施設図。
図の上が内湾側、下が外海側です。
中央に、右の閘門だけ開閉の様子が描かれています。
また上の画像のスライド式通路は、
この画像の下部に描かれた横一直線の構造のところです。





三池炭鉱

隣接する事務所は木造で、
敷地内に立つレトロな鉄塔とともに、
日本離れした雰囲気を醸し出しています。





三池炭鉱

現在、閘門は三池港物流株式会社が管理していますが、
今でも○に井桁と三の三井のマークが残り、
團琢磨の百年後の構想が今も息づいていることを伝えています。





三池炭鉱

建屋の中には、閘門を開閉するための水圧ポンプがあります。
このポンプも明治時代のものだそうですが、
今でも現役で、カタカタと軽快な音をたてて駆動するその様子は、
小さいながら産業遺産の風格を充分に出しています。







三池炭鉱

閘門のすぐ南に位置する堤防沿いには、
「大金剛丸」というクレーン船が停泊しています。
明治38年(1905)に三池へやってきた、
三池港築港のために活躍したクレーン船です。

クレーンの機動部分はイギリス製で、
石炭による蒸気機関で動くそうですが、
100年以上経った今でも現役というのには驚かされます。





三池炭鉱

大金剛丸のすぐ隣には、
バンカー炭(船舶で焚く用の石炭)の積み込み桟橋も残っています。







三池炭鉱

大金剛丸からさらに南へ行くと、
「長崎税関三池税関支署」があります。
三池港開港と同時に作られた税関ですが、
国内に残存する税関の建屋は少なく、
三池港とともに三池の足跡を今に伝える、
貴重な建物だと想います。

なお、
税関支署は平成22年(2010)に市の文化財に登録され、
現在のものは、かつての姿に復元されたものです。





三池炭鉱

税関支署のすぐ近くには、
かつて港に縦横無尽に走っていた、
炭鉱鉄道の軌道跡が残っていました。

なお、税関支署以外の三池港の諸施設は、
文化財には指定されてはいませんが、
昨年世界遺産への推薦が出された、
『明治日本の産業革命遺産』の構成資産として
リストアップされています。



三池炭鉱

三池港の外海寄りの敷地には、
港沖竪坑と呼ばれる、
以前アップした四ツ山坑関連の施設跡も残っています。
画像は海上から見た事務所棟跡。
昭和40年(1965)に開坑し、昭和62年(1987)まで稼働した竪坑だそうですが、
その櫓の姿は、
このシリーズの一番始めにアップした記事の画像

三池炭鉱

駅前の炭鉱資料館に展示されていた絵画の左奥に描かれています。
もともとは筑豊の田川炭鉱から移設された櫓だそうですが、
竪坑櫓は既に現存せず、
現在では竪坑の右隣に描かれている事務所棟などが、
わずかに残っているだけです。



【三池港】

地図にはこの記事で取り上げた施設の所在地を記入しました。
ただしこの記事で取り上げた施設は、
税関支署の外観以外、特別な許可を頂いて取材したもので、
一般の見学は受け付けていません。

三池炭鉱

◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
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三池炭鉱 #21:炭鉱電車

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シリーズでアップしている三池炭鉱。
文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
今回は三池鉄道の保存機関車群です。

三池炭鉱が閉山した時に、
四輛の炭鉱電車が大牟田市に寄贈され、
現在も三池の化学工場の一角に保存されています。

三池炭鉱

4つの車輛はどれも今では珍しい貴重な車輛ですが、
中でも目を惹くのは、最も古いL字型をした15tB形の5号機関車です。
その特徴的な形状と運転速度の遅さから、
大牟田の方言で亀をあらわす「ガメ電車」と呼ばれたそうで、
明治43年(1910)にアメリカから輸入されたものです。
ずんぐりとした低い車体と、
バランスが悪いほど大きなパンタグラフは、
とても愛嬌のあるルックスですね。





三池炭鉱

ガメ電車の運転席部分の外観。
扉の構造がみあたりませんが、
なんと窓から入るのだそうです。





三池炭鉱

限りなくシンプルな運転席。
左側中央のとってのついた青い部分が、
荷物入れ兼用の運転席のようですが、
ただの鉄板なので、さぞかしおしりも痛かったのでは。





三池炭鉱

ガメ電車の後ろにある、
少し重量が大きい凸型をした20tB形の1号機は、
明治44年(1911)にドイツから輸入されたもので、
その後の三池機関車のレファレンスにもなったモデルです。

さらにその後ろには凸の底辺部分がより長い、
昭和に入ってから芝浦製作所で製造された、
45tBB形の17号機が鎮座していました。





三池炭鉱

この運転席は、上述の20tB形の1号機を模して、
日本車輌と三菱造船所で大正4年(1915)に製造された、
20tB形の5号機のもので、
国産機関車としては国内最古クラスのものだそうです。
ガメ電車のそれと比べると、かなり複雑な構造ですが、
それでも現代の運転席と違って、
産業遺産の雰囲気出まくりですね。





三池炭鉱

上記の4車輛は、三池の機関車の中でも
ある意味重要な機関車なので保存されているのだと想いますが、
実は炭鉱時代の機関車は、現役で動いているものもあるんです。

この記事最下段の地図の上部にある、
修理工場と書いた建屋の中とその周辺のヤードに、
幾つもの車輛が停まっています。

画像は修理構造内に停車する、
20tB形の11号機(手前)と45tBB形の18号機です。
ご存知の方も多いと想いますが、
凸型の小さめのが20tB形、
凸型の底辺が大きいのが45tBB形ということですね。





三池炭鉱

なので修理工場の一番奥に停まっていたこの車輛は、
20tB形の9号機関車ということになります。

この他20tB形の12号機と45tBB形の19号機をあわせて、
現役で動いている電気機関車は全部で5輛あるそうです。





三池炭鉱

20tB形11号機の後ろには電源車輛が連結されていますが、
これは、化学工場内では架線による運行が危険なためだそうです。
それにしても機関車よりもはるかに大きい電源車。
機関車を動かすのも容易ではないんですね。





三池炭鉱

電源車に搭載されたバッテリーボックスの中には、
小分けされていくつものバッテリーが埋め込まれています。

三池炭鉱の電気機関車はいずれも、
なんの文化財にも登録されていないようですが、
これだけの状態で保存されているのはとても珍しいと想います。
是非とも保存して、後世に伝えて行って欲しいと想います。



【三池鉄道の保存機関車群】

修理工場と保存基地は、
いずれも11月最初の週末の一般公開の日に、
同時に公開される様です。
私も、この記事の撮影は、他の方々と一緒に、
一般公開の日に撮影させて頂きました。

三池炭鉱

◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
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三池炭鉱 #22:四ツ山配水池

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シリーズでアップしている三池炭鉱。
文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
今回は炭鉱施設ではありませんが、
巨大な地下水槽、四ツ山配水池です。

明治末期から大正の初期にかけて、
三井三池の発展によって人口が増加し、
それに伴う飲料水不足を解消すべく造られたのが、
四ツ山第一配水池です。

大正10年(1921)に供給を開始した貯水槽は、
三池炭鉱閉山後もずっと使用され、
平成24年(2012)にその役目を終るまで、
大牟田の市民の水を供給し続けた施設です。





三池炭鉱

小高い平らな丘の上に整然と並ぶ換気塔。
これが、四ツ山第一配水池の地上部分の光景です。
地下に貯水槽を掘り、上部を塞いだ後に盛り土をし、
その上部を平らにして、換気塔を均等に配置してあります。

一つひとつの換気塔は、
まずコンクリートで八画柱状に作られ、
換気窓をそれぞれの面にくり抜いています。
本来、機能的はここまででいい筈ですが、
さらに各面に型抜き(だと想います)で、
出っ張りのあるデザインを追加し、
しかもそれが同種のコンクリートではなく、
洗い出し仕上げになっているのは驚きです。





三池炭鉱

土もりされたほぼ正方形の四辺のうちの、
対格する二辺の中央に内部への入口が作られ、
ちょうど配水池の中央上部を横断する形で通路が造られています。





三池炭鉱

通路両側にある蒲鉾型の窓の奥が、
すべて巨大な貯水槽です。
貯水槽は左右5つに区切られ、
それぞれは流動壁によって区切られています。

壁面下部の赤くなっている部分が、
かつて水が溜まっていた高さの跡だと想います。





三池炭鉱

そして壁面の色が変わっている高さの位置に、
配水口と想われる太い鉄管が口を開けています。
配水口の上部に張られたネットは、
おそらくごみ取りだと想います。







三池炭鉱

第一配水池から南の位置にあたる四ツ山神社の裏手には、
昭和初期に配水を開始した第二配水池もあります。
第一配水池の盛り土はかなりの高さがあり、
出入口の施設は盛り土の高さより低いのに対し、
第二配水池の盛り土はそれほど高くないので、
出入口の施設が盛り土よりはるかに出っ張っています。

第一配水池の換気塔の装飾に使われていた、
洗い出し仕上げの壁面による円筒形の出入口施設は、
扉の左右のヨーロッパテイストの柱や、
銅板張りのドーム型の天井とともに、
かなり趣のある凝ったデザインです。





三池炭鉱

また、第二配水池上面の換気塔は、
第一配水池のそれとはまったく異なり、
よく古い時代のトイレ等で見かける形のベンチレーターです。
ベンチレーターは、第一配水池同様、
施設の上面にも均等に設置されていますが、
第二配水池では、上部盛り土の側面にも均等に設置されています。





三池炭鉱

第二配水池の敷地には、
水道記念碑が立っています。
記念碑の下部には龍の蛇口が取り付けられていますが、
もともと大牟田市は龍に年の深い土地だったことを表しているそうです。





三池炭鉱

また敷地の出入り口付近には、
珍しい角柱形のコンクリート電柱が立っていました。

四ツ山の配水池は、大牟田の水を供給し続けたという歴史と同時に、
建築的に見ても、大正から昭和のデザインを色濃く残す施設なので、
これもまた是非とも保存して欲しいと想います。



【四ツ山第一・第二配水池】

熊本県大荒尾市大島
現在四ツ山配水池は、第一と第二ともに、
一般の見学はできませんが、
唯一、四ツ山神社の境内から、
第二配水池の一部を見ることができます。

三池炭鉱

◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
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三池炭鉱 #23:大牟田点景

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シリーズでアップしている三池炭鉱。
今回は、これまでアップしてこなかった物件にさらっと触れたいと想います。

◆石炭露頭◆

三池炭鉱

石炭の発見伝説が残る稲荷山の付近には、
今も石炭の露頭があります。
今でも採掘出来る石炭なので場所は非公開に、
ということなので所在地はアップ出来ませんが、
「伝治左衛門夫妻がとろとろと燃やした石」
の伝説をリアルに実感出来ます。





◆排気竪坑用の人工島◆

三池炭鉱

画像中央に写るのは、有明海に浮かぶ「初島」と呼ばれる、
排気竪坑の為に造られた人工島です。→google map
稲荷山近辺に露頭していた石炭の層は、
有明海に向かって徐々に深くなって行き、
採掘拠点も次第に海寄りへと移動して行きました。
そして有明海の外海へどんどん行くに従って、
坑道内の換気施設も海上に造らざるおえなくなり、
その結果造られた人工島です。
上から見ると円形をしていて、かつては竪坑が口を開けていましたが、
現在では坑口は塞がれ、島の上には植物が繁茂しています。

手前に写る無数の細かな柱は海苔の養殖場です。
有明は海苔で有名ですね。





三池炭鉱

初島は海岸から見ることができますが、
更に遠くの沖合には三池島と呼ばれる、
初島同様排気竪坑のために造られた人工島もあります。
google map ※もう詳細写真が表示されないエリアです。





◆泉橋と旭橋◆

三池炭鉱

画像は大正5年(1916)竣工の「泉橋」で、
大牟田に残る最古の鉄筋コンクリート橋だそうです。
上から見るとラッパのような形をしていて、
南側の幅が4.5mなのに対し北側が13mもある、
不思議な形をした橋です。→google map





三池炭鉱

泉橋のすぐ隣には大正13年(1924)竣工の「旭橋」があります。
こちらは泉橋と違って橋の形は普通で、
頂部に球を載せた四隅の親柱と中央にある、灯りを載せた台座柱は、
泉橋より遥かに凝った趣のあるデザインですが、
欄干等は作り替えられてしまっています。





◆炭鉱鉄道軌道跡◆

三池炭鉱

泉橋の近くに残る炭鉱鉄道の軌道敷跡。→google map
これまでアップして来た主要な坑口と港を結び、
大牟田市内をぐるっと曲線で囲む様に走っていた鉄道敷は、
すでに線路は殆ど撤去されているようですが、
それでもコンクリート製のホームや鉄橋等、
残存する施設もあるというので、
今回は時間がなく巡ることはできませんでしたが、
次回訪れた時は、是非巡ってみたいと想います。

ちなみに三池鉄道の軌道跡は、
「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産にリストアップされています。

また、以前の記事でアップした、
電気機関車が保存されている三井の化学工場のヤードから、
鹿児島本線までの約1.8kmを繋ぐ旭町支線は、
かつての炭鉱電車の機関車が現役で運行しています。





◆大牟田の夜◆

三池炭鉱

市内に残るかつての炭鉱電車軌道の橋跡。
彫刻風のレリーフを左右にあしらい、
中央には時計まで埋め込んだ、
凝った造りの鉄橋です。

炭鉱鉄道は築堤の上を走っていたようで、
市内には、至る所に築堤をくぐるトンネルがあります。





三池炭鉱

夜の市内はひなびた雰囲気が色濃く漂います。
炭鉱が最盛期だったころには20数万人いた人口も、
現在では約半数の12万人ぐらいだといいます。
駅前の商店街も、かつては大いに賑わっていたのでしょうが、
今では使われなくなった雑居ビルが点在し、
草が生い茂る更地も目立ちます。





三池炭鉱

炭鉱の時代からあったスナック通りでしょうか。
多くの炭鉱マンの疲れを癒した場所かもしれませんが、
そのほの暗い灯りは、
かつての栄光を夢見ながら消え行く残照のようでもあり、
なんか切なくなります。





三池炭鉱

画像は1本10円!の焼き鳥。
戦後すぐの昭和25年(1950)に開業した「元禄」は、
三池炭鉱とともに歩んだ焼鳥屋さん。

当初は5円だったそうですが、
二代目の店長さんの今でも赤字覚悟の1本10円!
大牟田には以外と焼鳥屋は少ないらしく、
とても繁盛している様です。

この10円の焼き鳥は皮でしょうか。
さすがに10円。決して<凄く>美味しいとはいえませんが、
炭鉱時代からの時間の繋がりを感じれば、
その味も格別でした。



◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
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三池炭鉱 #24:エピローグ

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シリーズでアップしている三池炭鉱。
今回で最終回です。

三池炭鉱

こうして三池炭鉱を、表面的ですが一通り見て来ました。
1つの炭田をまるごとその黎明期から閉山まで、
一企業が独占して経営した例は、
国内では三池以外にありませんが、それもひとえに、
初代の指導者である團琢磨の力に寄る所が大きいのかと想いました。





三池炭鉱

国内に数多あった炭鉱は、
その殆どが閉山後放置され、廃墟と化しています。
経営していた企業の多くは、
その会社の発展に大きく貢献したはずの炭鉱の跡地を、
自然に還元することもなく、地元民のために有効利用することもなく、
「用がなくなったら知らん顔」を決め込みます。

しかし、百年後の未来を見通した團琢磨は、
炭鉱の発展にも役立ち、
同時に炭鉱が無くなったあとの町の発展も考慮に入れて、
三池港を造ったといいます。
そして今も三池港は現役で大牟田の産業に貢献しています。





三池炭鉱

しかし、文化財として既に保存されている施設は別として、
本来、充分保存に値すると想われる多くの施設が、
文化財の指定も受けず、保存の手だてもなく、
ただ時の流れに任せて放置されているものも少なくありません。
特に藩営から官営そして三井の創成期に関わる施設は、
日本の近代化をしるうえでも重要な施設なので、
是非とも保存して頂きたいと想います。





三池炭鉱

そこには今の日本を作り上げた石炭産業の、
いわば象徴的な形が残っていると同時に、
明治期の囚人労働や戦中の強制労働、
そして戦後最大の労働争議と産業事故という、
三池の、ひいては日本の20世紀の光と影が、
丸ごと封印されているからです。





三池炭鉱

逆にこのシリーズをアップする切っ掛けとなった有明坑をはじめ、
多くの三池炭鉱関連の施設が解体されてしまったのは残念です。
一度解体されてしまった施設は元には戻りません。
解体するのはせいぜい長くて数ヶ月ですが、
それは長い歴史の記憶が無くなってしまうことでもあります。
そして営々と育まれて来た文化を消し去ってしまうことだと想います。





三池炭鉱

三池には激動の20世紀が全て詰まっています。
そして三池を語り継ぐことは、
20世紀の日本を語り継ぐことだと想います。
三池を語るとき、時には重く暗い話が多くなるかもしれませんが、
それが20世紀の日本であり私たちの過去であることには違いません。
そして、未来は過去の積み重ねで造られます。





三池炭鉱

三池の光と影を語り継ぐことは、
未来へ襷をわたすことだと想います。
保存された建物や施設も、いずれ老朽化し崩れてなくなると想います。
たとえ残ったとしても、それらはなにも語りません。
残った建物や施設は、
人が語ることではじめて命を吹き込まれるんだと想います。

そして今、三池炭鉱が残してくれているものは、
この記事をご覧になって頂き、
そして何かを考えたり感じたりして頂いたことを一例として、
人と人が、地域と地域が繋がり、
未来を考える場を与えてくれていることだと想いました。





最後にこのシリーズで取り上げた坑口と炭鉱関連施設、
それに記事では取り上げなかった坑口施設を、
おおまかな地図にまとまました。
画像はクリックすると拡大します。
記事を読まれる際にご参考頂けたら幸いです。

またこのシリーズでアップして来た操業時と写真は、
すべて大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブさまからお借りしたものです。

<参考文献>
『筑後の近代化遺産』(弦書房)
『大牟田の宝もの100選』(海鳥社)

◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
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廃道:入川森林鉄道〜前編

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国内初の廃道DVD『廃道クエスト』リリースから1年が経ちました。
廃道の撮影は面白かったけど、
それはあくまでも平沼さんのからのオファーがあって実現したもので、
もう二度と廃道へ行くこともなく、
泡沫に消え行く楽しかった思い出になると想っていましたが、
それは大間違いでした

『廃道クエスト』発売後しばらくしてから、
日活さんから次回作のオファーがあり、
再び悪夢の廃道撮影の日々を過ごすことになりました。

そして去年の秋から年末にかけて撮影し、
年明けに編集した新作廃道DVD『廃道ビヨンド』は、
ちょうどクエストから1年の3/4に発売です。

ですので今回も、撮影に同行した廃道の数々を、
リポート形式でアップして行こうと想います。



今回最初に訪れたのは、
その軌道の圧倒的な残存量から『林鉄の王様』ともいわれる、
埼玉県にある森林鉄道だった廃道です。
実は森林鉄道は鉄道ではなく道路の括りに入るそうです。
入川森林鉄道跡は、途中で索道を使うことによって、
下部軌道と上部軌道に分かれていましたが、
現在、下部は遊歩道に、上部は登山道の一部に転用されています。

廃道・入川森林鉄道

google の地図だとまったく何にも表示されないので、
mapion の地図にしてみました。
スタート地点は国道140号と交わるところですが、
そこからしばらくは一般的な舗装路になっているので、
実際の探索は地図の右寄りにある入川渓谷夕暮れキャンプ場です。
ここまで行けば、あとは川沿いの道なりに進んで行くと、
それが同時に入川森林鉄道の軌道跡を辿ることになります。





廃道・入川森林鉄道

国道140号から入川渓谷観光釣場と書かれた看板を左折し、
細い下って行くと、左側に木造の小屋があります。
これが入川森林鉄道の始発駅跡です。
小屋の中に森林軌道関連のものは見当たりませんでしたが、
小屋の下部からは曲がって崩壊しかけの軌道が、
しっかりと伸びていました。

そしてこの付近は始発駅跡以外見るものはないということで、
車で入川渓谷夕暮れキャンプ場まで移動します。





廃道・入川森林鉄道

車はキャンプ場の手前までしか入れないので、
駐車場に車を止め、本日のコースの説明を平沼さんから頂きます。
地図を拡げて説明する平沼さん(左)と、
それを撮影するオープロ大西さん&録音するオープロ山内さん。
奥にいるのが日活ディレクターの牟田さんです。





廃道・入川森林鉄道

最初は画像の様に、
奇麗に整備された山道のようなところを進んで行きます。





廃道・入川森林鉄道

暫く進むとガードレールに線路が転用されていて、
森林鉄道だったことを徐々にアピールし始めます。





廃道・入川森林鉄道

そして地図の最初に川が枝分かれしている地点で、
軌道は少し枝分かれした川沿いに迂回していた様です。
川との合流地点は少し谷が深いので、
軌道をそれほど深くない場所で渡すためだったと想われます。

狭い川を渡っていた部分では、
既に橋脚などは全くなくなっているにもかかわらず、
奇跡的に線路だけが残っているのには驚かされます。





廃道・入川森林鉄道

川沿いに築堤された石垣は、
殆ど判別出来ない程に苔に覆われています。
遊歩道から離れているせいか、
レールは勿論、
枕木や枕木にレールを固定するいぬ釘まで残っています。





廃道・入川森林鉄道

しばらく進むと、道が二股に分かれ、
より狭く舗装されいない川沿いの道へと入ります。





廃道・入川森林鉄道

川沿いの山道らしい山道を暫く進むと、
ついに地面に埋もれた線路が姿を現し、
やっと<林鉄跡を歩く>雰囲気になって来ます。





廃道・入川森林鉄道

ひとたび線路が現れたら、あとは目白押です。
登りと下りの入れ替え場所だった複線。
林鉄が走っていた当時から、
周囲にこれだけ木々が繁茂してたかはわかりませんが、
もし繁茂してたら、
この緑のトンネルを走り抜ける林鉄に乗るのは、
とても気持ちよかったんじゃないかと想います。





廃道・入川森林鉄道

さらに奥へ進むに従って、
連続して残っている距離もどんどん長くなって行きます。





廃道・入川森林鉄道

この場所なんかは、
殆ど現役の時と同じ風景じゃないでしょうか。
ここもとても風光明媚な場所ですが、
しかし、左側の崖と右側の道端がかつては繋がった岩盤で、
それをこの軌道のために削り取ったのだと想うと、
林業とかはまったく知りませんが、
やはり相当お金になる仕事だったのかと、
あらためて実感します。





廃道・入川森林鉄道

かなり美しいS字カーブですが、
それゆえに、この場所は削岩は相当苦労したんじゃないでしょうか。
左側の岩がかなり荒削りです。

入川森林鉄道は後半へ続きます。



一年ぶりのは廃道新作DVD『廃道ビヨンド』
2014年3月4日 release !

廃道ビヨンド





更に、DVDの発売記念イベント決定!

廃道ビヨンド

2014年3月2日[土]@お台場・東京カルチャーカルチャーで、
出演の平沼さん&石井さんをゲストに迎え、
DVDには納めきれなかった未公開映像などとともに、
『廃道ビヨンド』発売前夜祭です!

詳しくはこちら↓
『廃道ビヨンド』リリース前夜祭!
〜ヨッキれん&トリさんも来て、先行販売あり!
新作廃道レポートあり!制作裏話あり!
秘蔵映像あり!来場特典もあるよ!〜

廃道:入川森林鉄道〜後編

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国内初の廃道DVD『廃道クエスト』リリースから1年、
新作廃道DVD『廃道ビヨンド』のリリースを前に。
今回の作品の探索リポートをアップしています。



今回は前回に引き続き、
林鉄の王様と言われる埼玉県の奥秩父にある、
入川森林鉄道です。

廃道・入川森林鉄道

画像は今回のDVDのジャケットイメージに採用した画像です。
前回の記事の続きを更に歩くと、
画像の様な荒削りな片洞門の下を、
蛇行しながら線路が続いているような場所もあります。
それにしてもこの片洞門は、そうとう荒削りですね。





廃道・入川森林鉄道

片洞門を越えて振り返ってみます。
この片洞門はどちらから見ても絵になりますね。





廃道・入川森林鉄道

片洞門を越えて更に進むと、
線路があった道は徐々に狭くなって行きます。





廃道・入川森林鉄道

やがて辿り着くのは、
周囲を大きな岩に囲まれたちょっとした広場です。
入川森林鉄道は、
その行程の途中で高低差が極端に急な所が一カ所有り、
そこだけは線路ではなく索道、
すなわちロープウエイで運搬していました。

画像は、その下の駅付近。
今では駅らしき構造物はもう見当たりませんが、
索道に使われていたと想われるワイヤーロープなど、
当時を偲ぶものは残っています。





廃道・入川森林鉄道

また、木材を板状に組んだ様子の構造物の残骸もありますが、
これは、伐採した木を索道で運んだ際の、荷台だそうです。

ここからは暫く索道の上の駅を目指して、
急斜面の山登りです。
一応登山道としては使われている様ですが、
足場の悪さは、殆ど訪れる人がいないことを物語っています。





廃道・入川森林鉄道

索道の上の駅の近辺からは、
再び山肌を沿う様な形で進む上部の軌道跡が現れます。
しかし、ハイキングコースにもなっている、
ゆるやかな下部のコースとは違い、
上部軌道は勾配も急で、かなり過酷な山道です。





廃道・入川森林鉄道

上部軌道にも、下部と同様、
橋脚がすっかり無くなった橋跡が幾つかあります。
ただ、木製の橋桁はかろうじて残っていますね。

苔むした橋台と線路は、
あと何年すると自然に還るのでしょうか。





廃道・入川森林鉄道

しかし上部期軌道で、
線路や枕木が残っているのは前半部分だけで、
後半になると殆ど線路もなく、
更には線路が敷かれていたであろう路盤もなく、
ただひたすら崖崩れで斜面と化した山肌を進むだけになります。
途中には画像のように倒木が行く手を阻み、
容易に先へ進めさせてくれません。





廃道・入川森林鉄道

ちなみに引きで見るとこんな感じ。
下の沢までそれほど高低差はありませんが、
それでも急斜面をずり落ちたら、
けっこう厄介なことになります。





廃道・入川森林鉄道

その後私は、途中で何かを撮影していて、
撮影クルーを見失ってしまい、
さらに連続する急斜面を進んだせいで左足に負担がかかり、
左足の膝を痛めてしまいました。
情けないorz
もうそろそろ終点だということはわかっていたので、
この付近で戻って来るのを待つことにしました。





廃道・入川森林鉄道

岩に腰掛けて休んでいいると、
目の前にもゴツゴツした岩から這い出す様に、
線路の一部が飛び出していました。
こんなガレバでも、
かつては確かに森林鉄道が走ってたんだな〜
と実感します。

もちろん平沼さんと撮影クルーは、
みんな終点まで行きましたので、
DVDには終点付近の様子も収録されています。

じきに戻って来たクルーと合流して帰途へつきましたが、
入川森林鉄道は片道6.5kmあります。
午前10時に撮影をスタートし終点に付いたのが16時半。
勿論いろいろ撮影しながらなので時間はかかっていますが、
それでも車を停めてあるキャンプ場まで1時間半はかかります。
あたりはすでに暗くなり始め、
下部軌道へ降りた頃は、もうあたりは真っ暗でした。
更に悪いことに、雨も降り出し、
結局下部軌道は雨の降る真っ暗な闇の中をただひたすら進んで、
結局駐車場についたのは7時頃でした。

入川森林鉄道は、
前回のDVD『廃道クエスト』の時の物件を含め、
一番、二度と行きたくない廃道でした(笑)



一年ぶりのは廃道新作DVD『廃道ビヨンド』
2014年3月4日 release !

廃道ビヨンド





更に、DVDの発売記念イベント決定!

廃道ビヨンド

2014年3月2日[土]@お台場・東京カルチャーカルチャーで、
出演の平沼さん&石井さんをゲストに迎え、
DVDには納めきれなかった未公開映像などとともに、
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廃道:離島の廃道へ

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国内初の廃道DVD『廃道クエスト』リリースから1年、
新作廃道DVD『廃道ビヨンド』のリリースを前に。
作品に収録した物件の探索リポートをアップしています。



今回からは東京都の廃道です。
と言っても東京の中心部から約150kmも離れた、
新島と神津島、離島の廃道です。

廃道・若郷新島港線

伊豆七島へは、前日の夜遅くに東京湾を出航し、
翌日の朝に到着する船便もありますが、
撮影日短縮もかねて、飛行機で行くことに。
新島や神津島への飛行機は、羽田空港ではなく、
調布の飛行場から飛び立ちます。





廃道・若郷新島港線

生まれて初めて乗るプロペラ機。
オープロのメンバーはもとより、
平沼さん&石井さんもプロペラ機は初めてです。
とくに平沼さんは飛行機自自体が初体験だったそうです。





廃道・若郷新島港線

初のプロペラ機にちょっと不安なのか、
これからの廃道探索に緊張しているのか、
あるいは、単純に眠いのか、
笑顔の少ない撮影クルー。
調布飛行場のターミナルはそんなに広くなく、
こじんまりとした待合所と、
搭乗待ちエリアだけの極めてシンプルな造り。





廃道・若郷新島港線

もちろん搭乗デッキなんぞはなく、
飛行機まで歩いて、数段のステップを昇っての搭乗です。
実は石井さんは自分で運転する車以外の乗り物が苦手らしく、
足取り重く飛行機へ近づいていました。(左)
右は平沼さん。





廃道・若郷新島港線

いっきに飛び立ったプロペラ機は、
ほどなく横浜港の見える上空へ。
高度が低いので、ジェット機より地上が近く見えます。
それにしてもプロペラの音がうるさい。。。





廃道・若郷新島港線

40分も乗るともう新島です。
画像の島のほぼ中央を左右に寸断して筋状に見えるのが、
これから探索予定の若郷新島港線の廃道です。





廃道・若郷新島港線

新島空港に到着。新島の空港ターミナルは、
調布飛行場より更にこじまんまりとしていました。
もちろんこちらもターミナルまでは徒歩。





廃道・若郷新島港線

新島の廃道を目指して島内を走っていると、
いきなりモヤイ像登場。
モヤイはイースター島のモアイ像をまね、
既に死後となった助け合うを意味する「催合う(もやう)」をかけて、
かつて新島では沢山造られた石像。
渋谷のモヤイはよく見ますが、
本家新島のモヤイをみるのは初めてです。





廃道・若郷新島港線

行動食(廃道探索のために必要な食料や飲み物)の購入のため、
スーパーを探して町を一周。
途中、新島本道の起点を発見。
標識の足元には、ガラス製の起点も。
(画像をクリックすると起点を拡大してみれます)

さて、プロペラ機に乗ってはるばるやって来た新島には、
どんな廃道が待ち受けているのか。。。



一年ぶりのは廃道新作DVD『廃道ビヨンド』
2014年3月4日 release !

廃道ビヨンド





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廃道:若郷新島港線の旧道

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作品に収録した物件の探索リポートをアップしています。



前回からアップしている東京の離島の廃道。
まずは飛行機からも見えた新島の廃道である
『若郷新島港線』の旧道と旧旧道です。

廃道・若郷新島港線

現在、新島の北部には、
平成に完成したかなり長い平成新島トンネルがありますが、
以前は北東部の海岸沿いの崖に沿う様に造られた新島トンネルと、
そのトンネルをほぼ真ん中に据えた道があり、
さらにその前の時代には、
トンネルがなく、崖下の中腹を往来する道がありました。
上図参照(画像はクリックすると拡大します)

これが都道211号線,
通称、若郷新島港線の旧道と旧旧道ということになりますが、
さらに新島の廃道のややこしいところは、
新島トンネルを中心とした旧道の南部分が、
洞門から先の崖崩れで完全に通行不可能になり、
崖崩れをの被害を免れた新島トンネルを生かすために、
海岸沿いの道から無理矢理、
新島トンネルまでのバイパス状の道を造っていることです。

おかげで、洞門、隧道、崖崩れ、薮と化した道
といった廃道の要素をかなり備えた、
いわば玉手箱の様な廃道となっています。





廃道・若郷新島港線

まずは海岸線の道からバイパス道を通って、
新島トンネルを目指します。
画像はちょっと望遠がゆるいのでいまいちですが、
もう少し焦点距離の長いレンズで撮影すると、
いわゆる山陰のベタ踏み坂のように撮影出来ると想います。





廃道・若郷新島港線

バイパス坂から視線を左に送ると、
草に埋もれかけの洞門も見えます。





廃道・若郷新島港線

バイパス坂を登りきると、
新島トンネルの入口が姿を現します。
一応金網で仕切ってはありますが、
完全に封鎖していない所を見ると、
地元の人などが生活道路としては使っているのでしょうか。





廃道・若郷新島港線

新島トンネルはひとまず置いといて、
さっき下から見た時に左側に見えた洞門を先に攻めます。
洞門までの道は、草が繁殖しているものの、
アスファルト面もちゃんと確認でき、
快適に歩けます。





廃道・若郷新島港線

洞門の入口が見えた辺りで振り返ると、
正面に新島トンネルの入口が見えます。
すなわち、
かつてはこの道が新島トンネルと繋がっていた道だった
ということですね。

2つ前の画像が、トンネルの入口を録ったにしちゃ、
やたらと歪んだ画像になっていますが、
それだけ後付けのバイパス道を、トンネルの入口に向けて、
無理矢理よこからくっつけている、ということで、
本来トンネルの入口は、
この画像の様に写るのが普通だと想います。





廃道・若郷新島港線

樹木のアーチの先に見えて来たのが、
「吹上げ洞門」です。





廃道・若郷新島港線

この洞門は、今でも現役で使えそうな程、
奇麗な姿をしています。
吹き抜けでくつろぐ石井さん。
実はこれには深ーい訳があるんですが、
まあいいとして。。。





廃道・若郷新島港線

洞門の反対側の出入口付近まで来ると、
なんとかつての土砂崩れの土砂が洞門内に流れ込み、
その土砂を途上に植物が繁殖しています。
光の差し込む洞門と言えどやはり炎天下よりは光量は少なく、
その植物は、やたらとひょろひょろしていました。

土砂の流入具合からも分かる様に、
出口の先の道は完全に土砂で埋もれてしまっています。
そのために、最初に登ったバイパスの坂が造られました。





廃道・若郷新島港線

洞門から再び戻り、いよいよ新島トンネルです。
撮影準備をするクルーを置いて、一足お先にトンネル内へ。
手を叩くと、もの凄い反響音が聴こえます。





廃道・若郷新島港線

トンネルは洞門より更に奇麗で、
これは正真正銘、このまま使ってもおかしくない状態だというのは、
道の素人の自分にもわかります。





廃道・若郷新島港線

トンネルは途中で緩やかに蛇行し、
途中、ライトがないと真っ暗になる部分も多少ありますが、
かろうじて両側の出入口の光が頼りになります。
トンネルは入口だけでなく、内部もかなり奇麗で、
個人的にはあまり面白くなく、殆ど撮影しませんでしたが、
平沼さんや石井さんにとっては幾つも見どころがあるらしく、
丁寧に説明をせいてくれていました。
そのあたりはDVDに収録されているので、
是非ご覧になってくださいませ。





廃道・若郷新島港線

ほどなくトンネルの出口です。
トンネルを出ると、暫くは廃道ですが、
一番上の地図の薄いオレンジ色の区間に繋がり、
現在でも車の通行が可能な現役道になっています。

これで洞門から新島トンネルまでの旧道はおしまい。
次回は、崖沿いに残る旧旧道です。



一年ぶりのは廃道新作DVD『廃道ビヨンド』
2014年3月4日 release !

廃道ビヨンド





更に、DVDの発売記念イベント決定!

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2014年3月2日[土]@お台場・東京カルチャーカルチャーで、
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廃道:若郷新島港線の旧旧道

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今回は新島の北東部に残る都道211号線、
通称、若郷新島港線の廃道の旧旧道です。

廃道・若郷新島港線

画像右寄りの赤いルートが、
この記事で取り上げる若郷新島港線の旧旧道のルートです。
(画像はクリックすると拡大します)
またGoogle Mapへのリンクはこちら → Google Map

前回アップした旧道は、洞門と新島トンネルを中心にした、
比較的歩き易い道でしたが、
さすがに旧旧道となると、道の状態は悪く、
様々な難関が待ち受けています。





廃道・若郷新島港線

航空写真のA地点。
新島トンネルを出て、旧道と旧旧道がまじわる付近で、
ちょうど昼の時間になったので、軽く昼食。とおもいきや、
石井さんがいきなりセンターライン上で食べ始めました。
確かに、センターライン上で食事が出来るのは、廃道ならではの醍醐味。
まあ、オブロ−ダーじゃなかったら、食べたいとも想わないか(笑)





廃道・若郷新島港線

すかさずカメラに収める平沼さん。





廃道・若郷新島港線

そしてこれが旧道と旧旧道の分岐点。
右が新島トンネルから続く旧道で、
左がトンネル完成前に使われていた旧旧道。
現在でも、旧旧道の入口は封鎖される様子もなく、
あたかも普通に通行できる道のようなそぶりを見せています。





廃道・若郷新島港線

航空写真のB地点。
しかしほどなく、こういったぞんざいな扱いの道になり始めます。
右が、旧道と旧旧道の分岐点から歩いて来た道ですが、
あきらかに後付けの様子が感じ取れます。
元来あった旧旧道が土砂崩れで埋まったので、
多少迂回する道を新たに造った跡でしょうか。





廃道・若郷新島港線

しばらく進むと、大量の土嚢群が道を封鎖しています。
しかし、平沼さん曰く、
これらはあくまでも車がこの先に進入しないための土嚢で、
歩行者の進入禁止を促すものではない、と。

をいをい。。。





廃道・若郷新島港線

土嚢群の先にはまた道が続いている様に見えますが、
ほどなく植物に覆われて、その先が見えません。





廃道・若郷新島港線

植物を掻き分けながらアスファルトの道を進むと、
やがてアスファルトが完全に寸断?瓦解?崩落?
している場所へ辿り着きます。
ここから先はもう路面はないので、
草薮に埋め尽くされた崖の側面を進むしかありません。
航空写真のD地点。




廃道・若郷新島港線

暫く薮を漕いで、見晴らしのいいところに出て、
やっと周囲の状況がつかめて来ます。
要するに、崖沿いに造ってあった道の一部が、
路盤のために造ったった平場もろとも、
崖崩れによって崖下に崩落し、
完全にえぐりとられてしまっている、といった状態です。
画像中央の上寄りに見える平たい部分が、
かつて繋がっていた道の路面です。

で、繋がっていた路盤を確認したら引き返して、
反対側からその場所まで行くのかとおもいきや、
このまま崖崩れをまっすぐ行く、といいます。
嫌すぎるorz





廃道・若郷新島港線

航空写真のE地点。
嫌すぎて周囲の画像を殆ど撮影してません。
崖崩れの幅は約20mくらい。
でも、崖の高さは150mはあるでしょうか。
眼下を見下ろすと、多少つかまれそうな木があるものの、
ひとたび転がり出したら、相当の距離を落下しそうです。

私は前作『廃道クエスト』の国道299号旧道で、
危険な崖崩れを体験しているので、
それに比べればまだましだった印象ですが、
299を未体験のオープロのメンバーは、
この新島の崖崩れが、一番のトラウマになったようです。





廃道・若郷新島港線

なんとか路盤へ辿り着き、
今来たルートを振り返ってみました。
画像中央上部の細い柱っが建ってる辺りが、
寸断された路面の向こう側の端です。
そこから薮を漕ぎ、崖崩れの斜面を横断し、
左に写る植物に捕まりながら、
やっと辿り着きました。





廃道・若郷新島港線

しかし、苦労して辿りついた路盤からの光景は、
太平洋の大海原がパノラマで広がる、
とても素晴らしい光景でした。





廃道・若郷新島港線

しばらくアスファルトの道を進むと、
この旧旧道でもっとも標高の高い地点にたどり着きます。
そこには「永遠に幸あれ 吹上げの坂」と彫られた碑が。
前回にアップした洞門も「吹上げ洞門」でしたが、
やはり太平洋に直接面した新島の山肌は、
ひとたび風が吹くと、猛烈に強い風なんだと想います。

(廃道を探索している時に限り)
とても仲睦まじい平沼さんと石井さん。





廃道・若郷新島港線

吹上げの坂からみる旧旧道と新島の山肌。
それにしても、この急斜面によく道を造ろうと想ったものです。






廃道・若郷新島港線

吹上げの坂の碑を過ぎると、緩やかな下り坂になります。
ほどなく進むと、再び路面がなくなり、
ここから先は終点の新島トンネルの入口まで、
殆どの区間、薮に覆われています。





廃道・若郷新島港線

ただし、先ほどの崖崩れとは違って、
アスファルトはないものの、路面用の平場は残っているので、
それほど危険ではありません。
ただ、背丈以上の薮漕ぎがウザいだけです。





廃道・若郷新島港線

途中、落ちてしまったカーブミラーと、
かつてミラーが付いていた支柱があったりして、
ここがカーブだったんだなぁ〜、と想いながら、
まったくカーブか直線かもわからない薮を進みます。





廃道・若郷新島港線

ところどころ、ほんの数メートルだけ、
アスファルト面が残っているところがあります。
センターラインも残っているので、
やっぱり道だったんだと、改めて確認します。

そうこうしているうちに、
やっと新島トンネルの南側の出入口へ辿り着きました。

距離的には片道1Km、往復でも2kmほどなので、
それほど時間がかかる行程ではありませんが、
その短い区間に、洞門、隧道、崖崩れ、薮化道路、と、
道にまつわる多くの要素がコンパクトに収録されたこの廃道は、
まさに廃道の宝石箱だと想いました。



一年ぶりのは廃道新作DVD『廃道ビヨンド』
2014年3月4日 release !

廃道ビヨンド





更に、DVDの発売記念イベント決定!

廃道ビヨンド

2014年3月2日[土]@お台場・東京カルチャーカルチャーで、
出演の平沼さん&石井さんをゲストに迎え、
DVDには納めきれなかった未公開映像などとともに、
『廃道ビヨンド』発売前夜祭です!

詳しくはこちら↓
『廃道ビヨンド』リリース前夜祭!
〜ヨッキれん&トリさんも来て、先行販売あり!
新作廃道レポートあり!制作裏話あり!
秘蔵映像あり!来場特典もあるよ!〜

廃道:若郷新島港線撮影後の夕陽

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国内初の廃道DVD『廃道クエスト』リリースから1年、
新作廃道DVD『廃道ビヨンド』のリリースを前に、
作品に収録した物件の探索リポートをアップしています。



今回は、前回までアップした若郷新島港線の撮影の後、
時間があったので島内を一周した時のことです。
なので、廃道ネタではありません。

新島

若郷新島港線と同じ、新島の北部寄りですが、
若郷新島港線が東側なのに対し、
西側に位置する宮塚山の一角に、
電波塔が集積したエリアがありました。
テレビやFMラジオの中継局が一カ所に集まった場所です。





新島

東京タワーとか、高〜い電波塔は見ることはあっても、
こんなに近くで、こんなに低い電波塔を見るのは初めて。
電波塔、以外とカッコいい。





新島

一番奥にはNHKの電波塔もあります。
他のに比べると、ちょっと地味な印象。





新島

また、電波塔群の先には小さな砂丘が広がっています。
確かに海岸線ではありますが、標高は300mくらいはあるので、
もともと砂浜だった土地が、火山活動で隆起し、
この高さに砂丘を造り出したのでしょうか。
砂丘には宇宙生物の様な姿で立つ枯れ枝。





新島

電波塔群から少し南下した富士見峠の展望台です。
左手前が新島の中心街。
右寄り手前に写る島は無人島の地内島(じないとう)。
その奥が式根島。
そして一番奥が、翌日から撮影予定の神津島。

この奇麗な夕陽を見る限り、
翌日の撮影は順調に行なえそうにも想えましたが、
この時点での天気予報は、曇りのち雨。
果たして神津島の廃道撮影はどうなることやら。。。



一年ぶりのは廃道新作DVD『廃道ビヨンド』
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廃道:新島から神津島へ

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前回までアップした新島を離れ、
翌日は、離島の廃道の2本目がある神津島へ向かいました。

新島・神津島

以前の記事でお伝えした様に、
新島へは飛行機でやって来たので、
港へ来るのはこれが初めてですが、
港まで来ると、なにやら古代遺跡の様な構造物があります。





新島・神津島

「光と風と波の塔」と呼ばれる施設で、
新島の多くの部分を構成するコーガ石で造られた、
いわば新島らしいモニュメントだそうです。
さらに遠くには、パルテノン神殿の様な形のものも見えて、
とっても行きたかったんですが、
船の出航時間が迫っているので断念。
又次回(といってもまた新島に来ることってないだろうな〜)





新島・神津島

新島から神津島へはフェリー「かめりあ丸」で。
懐かしの昭和のカーフェリー。
老朽化により今年の7月で新造船に交代するようです。





新島・神津島

船内も昭和まっしぐら。
船自体は昭和61年に建造されたようなので、
昭和も最後ですが、
船内の雰囲気はもっと古い印象です。





新島・神津島

特にこの食堂のランプ等、
40年代といってもおかしくないくらい、
昭和を感じさせてくれます。





新島・神津島

食堂内は後年に改装したのか、
それほど古くない印象です。
昨晩に東京港を出発して新島まで来た船なので、
夜中は営業していたんでしょうが、
新島から神津島の間は、もう営業していません。
たぶん、かめりあ丸も、もう乗ることはないと想うので、
何か食べておきたかったな。





新島・神津島

そうこうしているうちに神津島に近づいて来ました。
デッキで迫り来る神津島を見ながら平沼さん曰く
「悪そうな島だなー」
たぶん、山の崖崩れの事だと想います。
画像ではそれほどでもないですが、
肉眼で見ると確かに大規模な崖崩れです。





新島・神津島

ほどなくして神津島へ到着。
さっそうと下船する平沼さんと、
ちょっと乗り物には弱く、ふらふらと降りる石井さん。
本当は、到着後すぐに撮影の予定でしたが、
やはり昨日の夕陽はまやかしで、
天候は完全に下り坂。
まだ午前10時なのに、もう空はどんよりです。
クルー全員で協議の結果、撮影は翌日に持ち越し、
この日は各自自由に島内巡りとなりました。



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廃道:大黒根隧道

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作品に収録した物件の探索リポートをアップしています。



離島の廃道撮影でやって来た神津島。
前日の新島で見た夕景はまやかしで、
朝からどんより空が広がっています。
とりあえず撮影場所を確認に行ってみますが、
午後から雨の予報を信じ、撮影は翌日に持ち越すことに。

神津島・大黒根隧道

翌日撮影となった神津島の廃道のスタート地点。
神津島の西側に広がる多幸湾沿いにかつてあった海岸道路を進み、
画像右奥に写る岬の手前から谷間を登って行くルートです。
それにしてもこの多幸湾、
この日の天気のせいもあると想いますが、
湾内に壊れかけた自由の女神が立っていてもおかしくない、
地球上の光景とは想えない摩訶不思議な空間です。

多幸湾をあとにして、
この日は各自自由に島内を探索することにしました。
平沼さんは、
神津島の中央に聳える天上山を登るというので、途中で分かれ、
石井さんとオープロの一行は、
島の最北端にある未成隧道へと向かいました。





神津島・大黒根隧道

大黒根トンネルと書かれた扁額が残るこの奇麗な隧道は、
平成10年3月に竣工したトンネルのようです。
坑門を見る限り、現役で使われていてもおかしくない風貌です。
そりゃそうですよね、十数年前に建設された隧道ですから。
しかし300メートルのトンネルの反対側の坑門が近くなると、





神津島・大黒根隧道

なにやら奇妙な光景が見えて来ます。
右からは土砂が流れ込み、
左には身長大の巨大な岩石が転がっています。





神津島・大黒根隧道

坑門を半分塞ぐ土砂崩れをよじのぼり、
隧道の方を振り返ると、
やはり隧道自体はとても奇麗で、
今でもすぐに使えそうなことには変わりありません。
しかし、反対側に振り返ると、





神津島・大黒根隧道

っ!
全く道がないじゃないですかぁー!
道の痕跡すらみあたりませーん(汗)
遠くに見える切り通しは、
一応道を通そうとして削ったものでしょうか。
それにしてはあまりにもおざなりすぎます。





神津島・大黒根隧道

そして山側に目をやると、
山肌の至る所から発生した土砂崩れが、
だんだん下に来るに従って集積し、
巨大な土砂崩れとなって隧道の入口まで押し寄せています。

隧道は造ったものの、
この出口付近の山肌が土砂崩れを起こす地質のため、
ここから先の道を造るのを断念したということですが、
をいをい、隧道を造る前に分からんかったんかいー。

しかし、この土砂崩れを見た時に、
「あぁ、登りたい♥」と想ってしまった自分にビックリ。
廃道撮影を始めてから約10物件。
廃道に目覚めてしまったのか(汗)



一年ぶりのは廃道新作DVD『廃道ビヨンド』
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廃道ビヨンド





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廃道ビヨンド

2014年3月2日[土]@お台場・東京カルチャーカルチャーで、
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名組湾の鉱石運搬軌道

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新作廃道DVD『廃道ビヨンド』のリリースを前に、
作品に収録した物件の探索リポートをアップしています。



その前に本日『廃道ビヨンド前夜祭』@東京カルチャーカルチャーが、
無事終了致しました。
会場にお越し頂いた方々、
そして最後のところだけでしたが、Ustでご覧になって頂いた方々、
ありがとうございました!m(_ _)m
イベントは終了しましたが、
今回収録した物件の探索はまだ残っているので、
そろそろとアップして行こうと想います。



離島の廃道撮影でやって来た神津島の初日が天候に恵まれず、
撮影が翌日に延期になったので、島内を散策した時のリポート。
前回はDVDには未収録の大黒根の廃隧道でしたが、
今回はそのすぐ近くにあった鉱石軌道跡にちょっと寄り道。

神津島・名組湾の鉱石運搬軌道

google mapで見るとmapでは当然表示されませんが、
航空写真に切り替えると、しっかりと軌道の跡が写っています。
ほぼ中央を少しずつ曲がりながら、左右に伸びている筋がその軌道跡です。
この場所が面しているのは名組湾という湾で、
その名前がつい名組湾の鉱石運搬軌道跡と呼ばれているようです。





神津島・名組湾の鉱石運搬軌道

車道から防風松林越しに軌道跡がみえますが、
コンクリートの橋脚が波風で劣化して自然石のようになり、
あたかも海岸にあった岩肌をくり抜いて造った様な感じで、
なんか妙な光景です。
この光景を見た時に、もう10年以上も前に、
ウェブで見て一度行ってみたいと想いながら、
すっかり忘れていた軌道跡だったことを思い出しました。





神津島・名組湾の鉱石運搬軌道

軌道跡の背後には神戸山という山があり、
その山から採掘される坑火石という、
主に建材に使われる石の運搬のための軌道跡です。
採掘した鉱石を海岸線までは索道で運び、
そこから港までの運搬に、このトロッコを使っていたようです。
画像の頂上付近の山肌は崖崩れか採掘跡かは分かりませんが、
山頂には今でも採掘現場が残されています。





神津島・名組湾の鉱石運搬軌道

荒涼とした瓦礫が一面に広がる山頂には、
ところどころに石切場の跡が残っています。
採石は昭和17年(1942)に始まり、
平成12年(2000)まで続いたというので、
50年以上の長きにわたって採掘されていたことになります。
戦中に採掘が開始されているのはちょっと気になるので、
機会があったら郷土史でも見てみようと想います。





神津島・名組湾の鉱石運搬軌道

採掘は50年以上続いたものの、
索道&トロッコによる積み出しは昭和30年代には終了し、
その後はトラックによる運搬に変わっていったそうです。
なので、トロッコの軌道跡は、
約50年、風雪波浪に耐えて来たわけですね。





神津島・名組湾の鉱石運搬軌道

近づいて見ると、レールや枕木はないものの、
かつてトロッコが走っていた様子を
彷彿とさせるような橋脚にびっくり。





神津島・名組湾の鉱石運搬軌道

かつてレールがあった時の光景。
1つ前の画像の奥の方の部分だと想いますが、
レールがあってもなくてもさほど印象がかわりません。





神津島・名組湾の鉱石運搬軌道

ためしに橋脚の中へ降りてみました。
これまた摩訶不思議な光景です。
橋脚の下部を見ると、フジツボなどが付着しているので、
橋の下部は時により海水に浸ることもあるのだと想います。





神津島・名組湾の鉱石運搬軌道

橋脚のしたの砂地には、
真っ赤に錆び付いた鉄の車輪が眠っていました。
確かに、トロッコが運行していたんですね。





神津島・名組湾の鉱石運搬軌道

少し海の方へ移動してみました。
劣化が激しい橋脚。
特に、画像右奥の橋脚などは既に折れてしまってます。





神津島・名組湾の鉱石運搬軌道

更に海よりに進み、軌道が橋脚ではなく、
自然の岩石を路盤として利用している所へたどり着くと、
そこには枕木がしっかりと残っていました。
おそらく自然石を削り取って軌道スペースを確保し、
路盤にコンクリートを流し込んで、
そこに枕木を敷いたんだと想います。





神津島・名組湾の鉱石運搬軌道

枕木の残る路盤を進み、海っ端までたどり着くと、
「ポンプ」と呼ばれた船積み施設にたどり着きます。





神津島・名組湾の鉱石運搬軌道

当時の写真を見ると、
極めてシンプルな構造の船積み施設だったことが分かります。

人知れず働き、人知れず廃止され、
そして悠久の時を刻みながら眠りにつく産業廃墟。
廃道撮影で訪れた神津島でしあたが、
おもわぬ発見がありました。

『見学ナイトvol.15 池島からの報告』

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大人の社会科見学で知られる小島健一さん主催、
『見学ナイトvol.15 池島からの報告』に、
オープロジェクトがゲスト出演します。

池島からの報告

小島さんは3年前から長崎市の協力隊として、
九州最後の炭鉱である池島炭鉱に渡り、
池島の普及に尽力されて来ました。
そのおかげで、かつて殆ど知る人のいなかった池島も、
今では多くの人がその存在を知り興味を持つ様になりました。

オープロジェクトは、軍艦島のDVDや書籍で知られていますが、
実は軍艦島の初期の撮影の頃から同時進行で、
池島炭鉱も撮影していました。

その頃はまだ東南アジアの研修生が沢山いて、
実際の石炭の採掘は終了していたものの、
海底深くの坑道や坑外の多くの施設が稼働していました。

今回のイベントでは、
それらまだ動いていた頃の池島炭鉱の姿を、
映像・画像&解説でご覧になって頂ければと想います。

池島

いまでは殆どが水没してしまった海底坑道。
そこにはいったい何があったのか、そしてどんな世界だったのか。





池島

また、池島の港に着いた時に、
最初に港内から見える、斜面にへばりついた工場群の中には、
果たして何があるのか。





池島

更に、池島からも見える、
池島の沖合3キロに浮かぶ蟇島(ひきしま)。
島内には池島からもうっすら建物が見えますが、
果たしてそこには何があるのか。
永年池島に通い、
そのつど気になっていた蟇島へ昨年ついに上陸!
その一部始終をリポートします。

池島にご興味のある方は、是非ご参加くださいませ。



『見学ナイトvol.15 池島からの報告』
阿佐ヶ谷ロフトA
2014年3月9日 [日]
OPEN 18:00 / START 19:00 / END 22:00予定
予約¥1,500 / 当日¥2,000(共に飲食代別)

小島さんのサイト/告知ページはこちら →九州最後の炭鉱 池島より

ロフトA →阿佐ヶ谷ロフトA/スケジュール

廃道:砂糠山の廃道

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離島の廃道撮影でやって来た神津島。
初日は天候不順のため撮影ができなかったものの、
翌日は快晴だったので撮影をすることに。

神津島・砂糠山の廃道

撮影ターゲットは神津島の南西にある砂糠山の廃道です。
google mapの航空写真を見ると、崖崩れ甚だしい山の尾根に、
ほんのちょっとだけ残るアスファルトの道が見えます。
※リンク先のgoogle map航空写真を見ると、
周囲の崖崩れの様子がよくわかります。
目指すはこの僅かな道と、その周囲に延びていたであろう廃道です。





神津島・砂糠山の廃道

前日下調べで訪れたスタート地点にたどり着いたのは午前6時半。
しかし、確かに晴天ではあるけれど、
なんと風が台風並みの風速27m(ヒーッ)
画像では穏やかに見えますが、海岸から吹き付ける砂嵐が半ハンパないです。
撮影クルーのオープロジェクトはしばらく出発を見合わせ、
平沼さんだけ先行でスタート。
その後、平沼さんからの再三の呼び出しに応じて、
石井さんも後を追ってスタートしました。
取り残されたオープロジェクトの撮影クルーは、
風が止むのを待ちますが、なかなかやみません。





神津島・砂糠山の廃道

結局オープロジェクトが出発したのは11時過ぎでした。
その間、いろいろあったのですが、
そのへんは是非DVDをご覧になって頂ければと思います。
多幸湾の海岸線沿いに続く廃道をひたすら進みます。
画像奥に写る岬の様に見えるのが砂糠山。
岩肌が黒く見えるのは黒曜石の層で、
この一帯は有数の黒曜石の産地でもあります。





神津島・砂糠山の廃道

行く手の左手に聳える神津島最高の山、
天上山の崖崩れがハンパないです。
頂上から海岸線まで全部がけ崩れなんて観たことがありません。





神津島・砂糠山の廃道

海岸線の廃道を1時間位歩いた後、
高低差200メートル位の谷を登って目的地へたどり着くのですが、
帰りの飛行機の時間を考えると、とても上までは登っていられません。
そうこうしているうちに、石井さんが、
ばらくして平沼さんが下山してきました。
ちょっと分かりにくいですが、画像にお二人が写っています。





神津島・砂糠山の廃道

谷を降りてきた地点でお二人のまとめのお言葉映像を撮影し、
一路帰途につきます。

あれっ、じゃあ肝心な目的地って撮影してないの?
って思われた方もいらっしゃると思いますが、
実はそうではないんです。
前作『廃道クエスト』から導入したヘッドカメラ。
今作ではヘッドカメラのメーカーであるGoProさんから、
デモ機を3台お借りして最初の廃道から撮影していました。
ですので、撮影クルーが行かずとも、
目的地の撮影は平沼さんと石井さんのお二人が、
勝手に行ってくれているわけです。

ということで、現場に行っていないのでスチール写真はありませんが、
目的地の映像は、ちゃんと本編には収録してあります。
勿論、この廃道がどういった廃道で、どうして廃道になったか、
なども本編には収録してあるので、
是非ご覧になって頂けたらと思います。





神津島・砂糠山の廃道

手前に写るお二人の大きさから、
この天上山の崖崩れがどれほどの規模のものかが、
お分かり頂けると思います。

こうして、オープロは半分ずるをしながら、
離島の廃道撮影は無事終了しました。(汗)



一年ぶりのは廃道新作DVD『廃道ビヨンド』
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廃道ビヨンド


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