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Channel: 黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)
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戸倉峠の未成隧道3

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前回アップした劇場版廃道ドキュメンタリー
『the OBROADERS オブローダー 廃道冒険家』の記事で、
戸倉の未成隧道を再撮したとお伝えしたので、
そのリポートをちょっとアップしようと思います。



兵庫県宍粟市と鳥取県の県境に位置する戸倉峠。
そこに、第二次世界大戦の時代、
途中まで建設されながらも完成することのなかった未成隧道があり、
廃道三部作完結編の『廃道レガシイ』に収録したしたことは、
その時の撮影リポートでもお伝えしました。
そして、前回の撮影では、帰りの新幹線の時間の都合上、
隧道を奥まで探索出来なかったこともお伝えしましたが、
その後、どうしても奥まで行ってみたい欲求に支配され、
更に劇場公開版のディレクターズ・カットの話もあったので、
再度、撮影に挑むことにしました。
今回は前回到達した地点から最奥の閉塞地点を目指します。

戸倉峠の未成隧道

最奥の閉塞地点到達への決意を新たにする石井さん。
内奥は水が溜まっていることやかなり汚れることを想定して、
石井さんを始め撮影クルーは全員、
長靴とビニール合羽の上下を着用して挑みます。





戸倉峠の未成隧道

もう二度度来ることはないと思っていた戸倉の未成隧道。
再び訪れた9月の下旬は、早くも紅葉が始まっていました。





戸倉峠の未成隧道

相変わらずなんの変哲もない山肌に、
突如として漆黒の闇をたたえた口を開ける未成隧道。
画像ではとても小さな抗門の様に見えますが、





戸倉峠の未成隧道

撮影クルーの大きさと比べても分かる通り、
実はかなり大きな抗門です。
古い隧道は、現代の車が通行するには、
いささか小さすぎる口径のものも多いですが、
この隧道は、現代の大型車の通行にも充分耐えうる大きさをしています。
おそらく戦車をはじめとした大型の軍用車の通行を考慮してのことだと思います。





戸倉峠の未成隧道

再び訪れた未成隧道は、前回にも増して湿度が高く、
隧道内に入った瞬間に、強烈なカビとすえた獣臭が鼻を突きます。
カビは大量の腐った支保杭に繁殖するもの、
またすえた獣臭は、コウモリの糞です。





戸倉峠の未成隧道

前回到達した、コンクリート巻きの終了地点。
長時間で明るめに撮影してみると、一面のカビの世界。(ゲボッ)
照明が暗いのが幸いして前へ進めますが、
もし人間の目が暗部でもとてもよく見える構造だったら、
おそらくここら先は進みたいとは思わない筈です。






戸倉峠の未成隧道

勿論天井部分には大量のコウモリ。
再び訪れた不審な来訪者に息をひそめている様子です。





戸倉峠の未成隧道

前回撮影を終了した地点を越えて、更に奥へと進みます。
コンクリート巻きが終わった地点から、
いきなり地面が陥没したり盛り上がったりと、
起伏が激しくなってますが、これは総て崩落の結果です。
特に隧道底が斜めにせり上がっていて、
隧道の正面から見ると完全に塞がっている様に見えるところも、
近づいてみると狭い隙間が上へと続いていて、
かろうじて通行することができます。
これは崩落によって地面が盛り上がった分、
天井が同じだけ削れているからだと思います。





戸倉峠の未成隧道

更に進むと、もはや何でこんな形になったのか、
その崩落の過程が想像出来ないほど変形した部分もあります。
コンクリート巻きが終わってからは、
導坑という幅と高さが2m前後の、
ようするに隧道の当たりを付けるための水平の穴が続いているはずですが、
この部分を見る限り、幅は以上に狭くなり、
逆に陥没もひどく、また天井もかなり高い部分から崩落しています。
唯一、隧道は一本で迷うことはない、
ということだけをこゝろの支えに前へと進みます。

次回、未成隧道の最奥地へと進みます。



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戸倉峠の未成隧道4

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前回アップした戸倉の未成隧道の再撮リポートの続きです。
今回は、前回の後半にアップした崩落導坑の先へ進みます。

戸倉峠の未成隧道

過酷な崩落導坑の最後には、
崩落した瓦礫の分だけ高くなった地面から、
本来の導坑へ下る瓦礫のスロープが待ち構えていましたが、
ゆっくりと下りて本来の導坑へ辿り着くと、
以外にも<快適>なトンネルが続いていました。
高さと幅、ともに2mくらいの極めて荒い素堀の導坑は、
本来快適なはずはありませんが、
それまでの崩落箇所があまりにも非道かったんで、
そう感じたのかもしれません。





戸倉峠の未成隧道

快適な導坑を歩き出すと、
ほどくなくして人の痕跡がちらほらと散見します。
朽ち果てた木箱。
果たしていつからここにあるのかは分かりませんが、
もし工事中に放棄されたものだとしたら、
70年近く経過していることになります。





戸倉峠の未成隧道

更に暫く進むと、壁面に落書きの跡があります。
これは『廃道レガシイ』のブックレットで、
平沼さんもリポートしていますが、改めて読んでみると、

 トンネル戦士
 諸君よ
 當導坑の
 開通は
 何日ぞよ

と書いてあります。
平沼さんはこの落書きを建設当時の労働者のものと、
ほぼ決め打で伝えていますが、
もしかしたら、かなり時間が経ってから、
(と言っても戦後そんなに経っていない時期だとは思いますが)
この隧道を訪れた人の落書きかもしれませんね。

というのも、もしこの導坑を作っている人だったら、
隧道建設の中断を知っているので、
おそらく「夢半ばにして」などの表現になるのではないかと。

更に、ここで働いていた労働者が半島からの人たちだったと聞くと、
導坑がなかなか開通しない無念さを訴える内容、
そして流暢な日本語で書かれていることなど、
当時書かれたにしては、そぐわないことが多いとも思います。





戸倉峠の未成隧道

落書きのすぐそばには錆びまくったカンテラが、
ポツンと転がっています。
これはおそらく建設当時のものではないでしょうか。
70年の時を超えて、かつて漆黒の闇を照らし、
ただ無心に穴を掘る労働者の眼となった灯り。
そう思うと鳥肌が立ちます。





戸倉峠の未成隧道

<快適>な導坑には殆ど支保杭がありませんが、
ところどころこういった感じに崩れた支保杭の塊があります。
<快適>な導坑が始まったころは、
まだ隧道の周囲を奇麗に整えようとする意志を感じる壁面でしたが、
この付近になると、もう一心に掘り進むだけといった感じで、
壁面を整える意志は感じられません。





戸倉峠の未成隧道

更に進むと、徐々に壁面の湿潤が多くなり出し、
坑床にも水が流れているようになります。





戸倉峠の未成隧道

やがてその水は水量を増し、
水たまり状の坑床が出現します。
20m程の水たまりは、沸き出す地下水の水で、
水流があるのか、とても透き通っています。
またこの水たまりはそれほど深くないので、
用意したゴム長靴でなんとか渡ることができました。

正面に見える青光りする箇所は、
遠目には完全に閉塞している様にみえますが、
近づいて見ると、なんと極めて薄い隙間があり、
再び崩落部分の登場です。





戸倉峠の未成隧道

この崩落箇所も、天井から落ちた瓦礫が坑床に堆積し、
かなりの高さまで積み上がっているものの、
その分天井も空間が出来ているので、
かろうじて前へ進むことができます。
画像はその崩落の瓦礫を登った所から、
1つ前の水たまりの方向を見たものです。

この崩落の先には先行した撮影クルーがいる筈ですが、
どんなに耳を澄ましてもまったく物音1つ聴こえません。
試しに大声で呼びかけても、返事もありません。
崩落によって直線的でなくなってしまった隧道内では、
そんなに遠くなくても、音が伝わらないのだと思いました。





戸倉峠の未成隧道

そしていよいよ最終地点へ到着。
支保杭が水中に散乱する、
1つ前の水たまりより遥かに深い水たまり。
そしてその奥にみえるのが、完全閉塞地点。
先行した石井さん初めオープロ班は、
結局閉塞箇所を確認すべく、
50cm以上ある水中を、長靴の中に水を入れながら、
突き進んだそうです。

私は遅れて到着したので、
ズルをして対岸からの撮影だけで引き返しました。

引き返す直前、ライトを消ししばしその場に佇んでみましたが、
ライトを消した瞬間、
得体の知れない重圧が全身を蝕んで行くのを感じます。
それは、今この場で地震が来て、
崩落の下敷きになってしまうことを想像する恐怖かもしれません。
あるいは、想像する死後の世界かもしれません。



ジュール・ベルヌが好きです。
特にセンター・オブ・ジ・アースはとても好きです。
あの話はフィクションで、地底は目映いばかりの銀世界ですが、
それに憧れて、子供の頃、よく出来かけの鍾乳洞をもぐったものです。
全く美しくなく、ただ濡れてる岩にしか見えない鍾乳石に挟まれて、
泥だらけになりながら前へ進む感覚。
きっとその先には、不思議な世界があるかもしれないと思いながら、
結局不思議な世界はどこにもありませんが、
暗い洞窟をくぐり抜けた達成感が残ったのを今でも覚えています。

廃道シリーズを通して、
この戸倉の未成隧道や『廃道レガシイ』に収録した旧大滑隧道、
そして『廃道クエスト』に収録した越床峠の明治隧道は、
いずれも閉塞した隧道でしたが、
これらの隧道には、廃道としての楽しみのみならず、
ケービングの楽しさが加味されていたので、
そういう意味では、とても印象深く記憶に残っています。





戸倉峠の未成隧道

再び2つの崩落箇所を乗り越えながら、
コンクリート巻きの最終地点まで辿り着いて外の光が見えた時は、
さすがにホッとしました。

以前のリポートでもお伝えしましたが、
ケービング・アドベンチャー感満載の構造、
隧道の制作行程がつぶさに分かる貴重さ、
カビやコウモリも含めたその廃れっぷり、
そして、その裏に秘めた黒歴史。
三本の廃道DVD制作を通して、
もっとも印象深く残った物件でした。



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『OBROAD 未知なる道』展開催

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コニカミノルタプラザ企画展『OBROAD 未知なる道』展

ついうっかり、アップするのを忘れてました。
昨日12/06から12/15まで、新宿のコニカミノルタプラザにて、
廃道の写真展『OBROAD 未知なる道展』を開催してます。

廃道DVD三部作、そして映画『オブローダー』の劇場公開など、
ここ2年にわたって関わって来た廃道の、
いわば最後をしめくくる発表。

万世大路や越床峠など、過去の映像作品で訪れた廃道は勿論、
映像作品には収録しなかった廃道も含めて25点。
冒険寄りだった映像作品とは真逆の、
時の止まった廃道の世界をお楽しみ下さい。



コニカミノルタプラザ企画展
オープロジェクト・プレゼンツ
『OBROAD 未知なる道』

会  期:2014年12月6日(土)~12月15日(月)
開館時間:10:30~19:00(最終日は15:00まで)
入場無料
住  所:東京都新宿区新宿3-26-11 新宿高野ビル4F
アクセス:JR新宿東口、地下鉄丸の内線新宿駅A7出口から徒歩1分
(フルーツの新宿高野4F)

詳しくはこちら↓
http://goo.gl/0GS0De

『軍艦島 DVD BOOK 奇跡の海上都市 完全一周』まもなくリリース!

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制作に追われる日々。
ブログらしい記事も更新出来ないまま、
またまたお知らせ記事となってしまいます。

扱いは書籍ですが、内容的にはDVDで、
映像作品としてはオープロジェクト3年ぶりの軍艦島の新作です。

『軍艦島 DVD BOOK 奇跡の海上都市 完全一周』宝島社

軍艦島を題材としたDVDはこれで4作品目ですが、
思えば、これまでの拙作品をはじめ、数々のテレビ番組も、
軍艦島を「点」のように編集したものばかりです。
つまり、島内の特定の場所を繋ぎ合わせて作られているというか。

そこで今回は、島内をノンストップで完全一周踏破したら、
実際、どのくらい時間がかかり、
そして、それぞれの建物はどのように繋がっているのか?
がわかるのではないかと思いました。

おりしもジンバルタイプのステディシステムを入手したので、
アクションカメラのGoProを装着し、
私、黒沢が、ぐるっと一周、ノンストップで撮影すると同時に、
同録で島内の施設を解説しまくってしまおう、という企画です!

さすがにノンストップなので、
途中、お聞き苦しい所も多々ありますが、
ちゃんと繋がっていないGoogleストリート・ビューにご不満の方々をはじめ、
軍艦島のリアルタイム・バーチャル・ウォークをお楽しみください。

◆ 軍艦島 DVD BOOK 奇跡の海上都市 完全一周 ◆
著 者:オープロジェクト
出版社:宝島社
発売日:2015年1月10日
A4板ブックスケース入り/90分/オールカラー/特製ブックレット(8P)付
定 価:1,300円(+税)
ISBN-10: 4800235650
ISBN-13: 978-4800235657

『軍艦島 DVD BOOK 奇跡の海上都市 完全一周』宝島社

『THE OBROADERS オブローダー~廃道冒険家~』リリース!

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明けましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いいたします。



年明け早々ですが、昨年の年末に続きリリース情報です。

『THE OBROADERS オブローダー~廃道冒険家~』日活

昨年11月末、テアトル新宿のレイトショーで公開された、
劇場版廃道ドキュメンタリー『THE OBROADERS オブローダー~廃道冒険家~』が、
ブルーレイで発売です。

既に劇場でご覧になった方は、内容はご存知のことと思いますが、
廃道三部作の2作目『廃道ビヨンド』に収録の、
新島&神津島の廃道に未公開映像を大幅にプラスし、
3作目『廃道レガシイ』収録の戸倉の未成隧道の探索出来なかった、
最奥の閉塞地点までを新撮で収録しました。

廃道3部作で収録して来た、
廃道の「美しさ」「冒険性」「歴史性」「不思議さ」の
総ての要素が詰まった、いわば集大成です。

また廃道3部作では、
『廃道をゆく4.5』や『山さ行がねが ブックバージョン』など
平沼さん執筆のブックレットを封入してきましたが、
今回は全編石井あつこさん執筆の『トリのオブガイド』を収録。

クレヨンで手書きされた探索地図など、
トリ(石井あつこ)さんの新たな面が楽しめるブック付です。

ぜひご覧んになって下さい!

◆ THE OBROADERS オブローダー~廃道冒険家~ ◆
企画・制作:オープロジェクト
出演:平沼義之・石井あつこ
出版社:日活
発売日:2015年1月6日
90分/オールカラー/特製ブックレット(8P)付
定 価:4,800円(税抜)
ASIN: B00NLW6MCE
EAN: 4907953055193

『THE OBROADERS オブローダー~廃道冒険家~

東スポさん、連載開始!

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東京スポーツ「軍艦島は未来都市だった」
※画像をクリックすると拡大します。

東スポさんで、
「軍艦島は未来都市だった」の連載、今日から開始で~す。
軍艦島に端を発し現代にも通じるものや事柄の話。
毎週火曜日の第3面で8回の連載です!
是非ご覧になって下さいませ~

『軍艦島 奇跡の産業遺産』リリース!

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軍艦島 奇跡の産業遺産

軍艦島の新刊、『軍艦島 奇跡の産業遺産』
を出版させて頂きました。

これまで軍艦島関連の書籍は、
『軍艦島全景』『軍艦島入門』と出させて頂いてますが、
いずれもカラー画像や図を中心としたものでした。
今回は新書判ということで、文章が中心です。
写真も掲載していますが、モノクロで量も少ないので、
写真や図がないとわかりにくい建築や炭鉱の話は少なめにし、
かわりに昨今話題の世界遺産関連の話や生活の話を多めにしました。

また、
タレントの石原良純さん、千秋さん、
ラストレーターの蛭子能収さん、DJのDAISHI DANCEさん
国会議員の秋野先生の各氏に頂いたコラムも収録してあります。
みなさん、ありがとうございました!

過古作と同じ人間が書いているので、ダブる内容もありますが、
一生懸命書きました(笑)
是非ご覧になって頂けたらと思います。

◆軍艦島 奇跡の産業遺産◆

価格:850円(税抜)
新書: 242ページ
出版社: 実業之日本社
発売日: 2015/6/11
ISBN-10: 4408111465
ISBN-13: 978-4408111469

軍艦島 奇跡の産業遺産

『オール讀物』で軍艦島を執筆しました

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オール讀物

文藝春秋社の月刊誌『オール讀物』で、
軍艦島を執筆させて頂きました。

7ページなので、軍艦島の凄いところと、
世界遺産がらみの話題に絞って書きました。

思えば、これまで軍艦島に関してはたくさん執筆してきましたが、
最初に島を訪れた時に感じた廃墟軍艦島に関しては、
一度も書いたことがなかったので、
冒頭に、ルポ風にまとめてみました。
この部分は次号が出るまで、
オール讀物のサイトで立ち読み出来ます。
※「軍艦島 未来への襷」をクリック

オール讀物

またモノクロですが、巻頭グラビア8ページも軍艦島です。

1冊まるまる読むのはしんどい~っていう方は、
是非ご覧になって下さいませ。

◆『オール讀物』◆
グラビア:二十世紀を牽引した軍艦島
本文:軍艦島 未来への襷

価格:1,000円(税抜)
新書: 366ページ~
出版社: 文藝春秋社
発売日: 2015/6/25
ASIN-10: B00Z7L028W

オール讀物


『軍艦島~廿世紀未来島を歩く~』BD版裏リース!

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軍艦島~廿世紀未来島を歩く~BD版

2008年に既発のDVD『軍艦島~廿世紀未来島を歩く~』を、
BD晩で発売させて頂きました。

閉山後30年ぶりに島を訪れたもと島民が、
廃墟軍艦島の島内を歩いているうちに、
徐々に昔の記憶が甦って来る。
楽しかった子供のころの思い出から、特殊な生活、
過酷だった炭鉱の仕事、そして閉山。
約10年前の島内のウォークスルー映像と過去の映像がオーバーダップし、
軍艦島の全貌が明らかになって行く。

元島民としてナレーターを勤めるのは、
実際に島民でもあった声優で、
おしくも昨年亡くなられた石森達幸氏。

特典映像には軍艦島の雛形炭鉱だった中ノ島と、
石森達幸さん×鐘ヶ江貞子さん(島内の酒屋さん)のインタビューを収録。

さらにコメンタリートラックでは、
軍艦島を世界遺産にする会の理事長、坂本道徳氏をむかえて、
今は亡き民間の軍艦島研究者の第一人者だった小島氏とオープロジェクトで、
お話をうかがいます。

ドローン空撮など多少の再編集を施して奇麗な画質になったBD版を、
この機会に是非ご堪能ください。

◆軍艦島~廿世紀未来島を歩く~◆

価格:4,800円(税抜)
収録時間: 45分(特典:中ノ島10分、島民インタビュー5分)
発売元: 日活
販売元:ハピネット
発売日: 2015/07/02
ASBN: B00USZREM4
EAN: 4907953055858

軍艦島~廿世紀未来島を歩く~

『軍艦島カレンダー2016』発売!

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軍艦島カレンダー2016

来年用の軍艦島カレンダーを造らせて頂きました。
以前、2010年の時に一度カレンダーは制作していますが、
今回は祝!世界遺産登録ということで、
前回とは全部違う画像で制作しました。
月めくりで、各月、大きな画像に加えて、
関連する小さい画像&簡単な解説をつけました。

これまで軍艦島関連の書籍や映像はたくさん制作してきましたが、
いずれもわざわざ開かないと見ることができないものばかり。
カレンダーなら、掲示しておくだけで、
いつでも見られると思います。

まもなく今年も終わり。
来年のカレンダーでお悩みの方は、ぜひ!

◆軍艦島 黒沢永紀 2016年 カレンダー 壁掛け◆

価格:1,500円(税抜)/1,620円(税込)
仕様: 月めくり/オールカラー/マット紙
発売元: ウイング
販売元:トライエックス
発売日: 2015/09/02
ASBN: B014PE4GV0

軍艦島カレンダー2016

『誰も見たことのない世界遺産「軍艦島」DVD BOOK』リリース!

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誰も見たことのない世界遺産「軍艦島」DVD BOOK

昨年初頭にリリースさせて頂いた
『奇跡の海上都市完全一周 軍艦島 DVD BOOK』に続く、
DVD BOOKシリーズの第二弾です!

前作は、手持ちドローンによる同録解説で、
軍艦島の島内を隅から隅まで回ったDVDがメインのものでしたが、
今回はDVDとともに書籍も96ページオールカラーの豪華装丁版。

タイトル『誰も見たことのない世界遺産「軍艦島」DVD BOOK』は、
従来、テレビや書籍等で発表されていない軍艦島を集めた作品です。

DVDには、
10年以上にわたって軍艦島を映像作品化 してきたオープロジェクトによる、
昨今流行のドローンを駆使した空撮をまtめた『軍艦島空景』、
岩礁の中を貫く防空壕トンネルと炭鉱施設の地下トンネルを撮影した「探検!軍艦島のダンジョン」、
そして、周囲の護岸の上をノンストップ一周歩いた『軍艦島護岸一周』を収録。
いずれも4Kをメインに撮影された高解像度の映像集。
前作同様、私がコメンタリーを付けさせて頂きました。

また書籍では、
未発表の貴重な写真と知られざる軍艦島のリポートを多数掲載。
現在では見ることのできない海底炭坑の坑道、
および100年後までを予測した軍艦島の未来の姿を、
イラストレーターの東京幻想さんによる描きおろしのイラストで再現。
写真家の酒井透さんによる「軍艦島遠景」をはじめとするグラビアも収録。
DVDに収録された軍艦島のダンジョンの完全踏破のリポートや、
軍艦島の夜、そして軍艦島へ行商で通った人のリポ。
さらに元島民による島の思い出を綴った詩も併載。

DVD・誌面とも、
まだ「誰も見たことのない」映像・画像満載の新作。
お値段は少々高めですが、
DVDと書籍2つ分と思って頂ければ幸いです。

◆誰も見たことのない世界遺産「軍艦島」DVD BOOK◆

価格:3,700円(税抜)
DVD収録時間: 65分
書籍:B5版/96ページ/オールカラー
発売元: 宝島社
発売日: 2016/01/12
ISBN-10: 4800250013
ISBN-13: 978-4800250018

誰も見たことのない世界遺産「軍艦島」DVD BOOK

東京貧民窟をゆく~上野万年町

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東京貧民窟の今を歩くシリーズの第三弾は、
上野駅からほど近いエリアにあった、下谷万年町(したやまんねんちょう)の貧民窟です。

四谷の鮫河橋、そして浜松町の新網町の貧民が、
軍の学校から出る残飯を目当てに集住したエリアだったのに対し、
こちらは繁華街である上野の残飯を目当てに集まった人たちでした。

またこのエリアに集住した貧民の職業を見ると、
これまでの日雇人足や車夫とともに屑拾いが多数いたのも、
繁華街に隣接していたからでしょうか。

万年町は三大貧民窟の中で最も狭く、
その面積は鮫河橋と比べると約5分の1程度でした。
しかし、人口は日清戦争後で3,800余人もいたというので、
密度は鮫河橋の約4倍。
極端な集住ゆえ、街の様相も前述の二箇所に比べて、
はなはだひどい有様だったようです。

■概略地図■


横線のエリアがかつての貧民窟。
付近の google map はこちら


クリックで画像拡大

現在、エリアの南半分である万年町1丁目界隈は東上野1丁目という住所となり、
そのほとんどが東京メトロの上野検車区となっています。(概略地図:1)
1927年(昭和2年)、国内初の地下鉄を運行した東京地下鉄道が、
関東大震災で壊滅した貧民窟の跡地に、
上野電車庫として発足した場所でした。






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検車区の線路沿いにある昭和まっしぐらな居酒屋の入居する建物は、
側面まで施工された、ちょっと変わった看板建築です。(概略地図:2)






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検車区の塀はかなり長く、その規模が想像できますが、
高さがあるので、検車区の中を見ることはできません。(概略地図:3)
塀越しに写る上野学園は、もともと上野桜木町にあった女学校で、
戦後初の学内ストライキを行い、
大学民主化運動の契機となった大学だそうです。






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検車区の塀伝いに北へ進むと、
万年町の中央を横断する道へと突き当たります。
おそらくこの付近が貧民窟時代の中心地だった、
万年町2丁目(現在の北上野4丁目)でしょう。
現在では、道沿いにこぢんまりとした商店街があり、
道の先には、聳え立つスカイツリーが見えます。(概略地図:4)






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道を渡ると、特に醜穢を極めたというかつての万年町2丁目へ入りますが、
小規模な会社や一般住宅が建ち並ぶ普通の街角からは、
当時の面影を偲ぶべくもありません。
ところどころ長屋風情の一画が残るものの、
もちろん大正時代のものではないでしょう。(概略地図:5)






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古い建家の解体現場を見ては、(概略地図:6)
当時に想いを馳せるのが関の山です。






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解体現場のすぐ近くには、
古色蒼然とした壊れかけの祠がありました。
背面の制作年を確認することはできませんでしたが、
その雰囲気から、もしかしたら貧民窟の時代を見てきたお地蔵さんかも知れません。



これで、かつて東京にあった三大貧民窟の探訪は終わりです。
次回は、もう一箇所、新宿にあった貧民窟を訪れます。

東京貧民窟をゆく~内藤新宿南町

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東京貧民窟の今を歩くシリーズの最後は、
新宿駅の南西に広がっていた内藤新宿南町の貧民窟です。

これまでアップして来た、
四谷鮫河橋、浜新網町、上野万年町の三大貧民窟に劣らず、
多くの貧民が集住した街。
内藤新宿南町は、その後旭町(あさひまち)となり、
現在では新宿4丁目という住所にあたるエリアです。

江戸の中期から岡場所として発展した内藤新宿にほど近いことから、
日雇いや車夫のほかに、辻芸人なども暮らしていたといいます。

■概略地図■


横線のエリアがかつての貧民窟。
付近の google map はこちら


クリックで画像拡大

エリアを斜めに分断する明治通りの西側は、
現在では小洒落た店が建ち並び、
新宿の新しいファッション街となりつつあります。
この場所に、かつて貧民窟があったとは、
とても想像のできない光景です。(概略地図:1)






クリックで画像拡大

それに対して明治通の東側の一帯は、
木賃宿が軒を連ねる「新宿4丁目ビジネ旅館街」(概略地図:2)
1887年(明治22年)の「宿屋営業取締規則」によって、
木賃宿営業許可地域に指定された場所で、
今もその名残が色濃く残っていまっす。
この法令は、三大貧民窟をはじめとした都心部の貧民を、
周辺地域へ拡散させるための措置だったといわれる法令ともいわれます。
三大貧民窟に暮らした人々の多くが間借りだったの対して、
この地域では、木賃宿を常宿として暮らす人が多いのが特徴でした。






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新宿4丁目ビジネ旅館街の中で、ひときわ目を惹くのが、
二階部分を上下に二分し、玄関横に飾り窓のある老舗の旅館中田家です。(概略地図:3)
この平成の世に一泊1800円、個室でも2200円という看板をかかげ、
界隈でも群を抜いて時が止まった空間を演出しています。






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他の宿も小綺麗に改装されてはいるものの、
1泊4,000円前後の2階建てないし3階建ての宿が並ぶ街並には、
かつての木賃宿の名残がみてとれます。
また、以前にホテルだった建物が、
外観をそのままに、現在ではマンションとして使われている建物もあります。
画像は約10年前のもので、当時はホテルでしたが、
現在ではマンションとして使われているようです。(概略地図:4)






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また宿名を横文字にして小綺麗に改装し、
ドミトリーとして営業しているものもあります。(概略地図:5)






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かつて南町の真ん中に位置した天龍寺は、江戸時代の初めに移転開山した寺で、
一説には江戸の裏鬼門鎮護の役割を担っていたともいわれます。
まさに貧民街の歴史をつぶさに見てきた寺ですが、
併設する墓所の奥にドコモビルが聳える光景は、
隔世の感がいなめません。(概略地図:6)
また、天龍寺の境内は湧水が豊富で、渋谷川の源流のひとつとなっています。
水源と寺といえば、以前にアップした四谷の鮫河橋を思い出します。
この二つの要素は、貧民窟を生み出す大きな要因だったのかもしれませんね。






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ちなみに、エリアの一画に建つ雷電稲荷神社は、
源義家の目の前で雷雨がたちどころに止んだ白狐の伝説に因む神社。
1928年(昭和3年)に歌舞伎町の花園神社へ合祀されたものの、
跡地に鳥居や祠が再建され、旧地を示すものとして現存しています。(概略地図:7)



厚生労働省が発表した2015年(平成27年)のホームレスの数は、
全国で約6,500人、東京では市部を併せて約1,500人。
ちなみに国連人権委員会による2013年(平成25年)の報告では、
東京23区のホームレスは約5,000人だとしています。
この差は、調査方法の違いによるのでしょうが、
いずれにせよ、この数の中に、
いわゆるネットカフェ難民と呼ばれる人々は、
ほとんどカウントされていません。

事実、ネットカフェの利用者の中から、
家がある人かそうでない人かを判別するのは極めて困難であり、
また、ネットカフェ業界からも、難民ありきでの調査方法への反発から、
正確な調査は行われていないようです。

また、シングルマザーとなった女性が、
年収100万円に満たない貧困者になる確率は、
実に30パーセントを越えるともいわれています。

もはや貧民窟は過去の話、と笑ってはいられない時代です。



東京貧民窟に関して、紙面でご覧になりたい方はこちらをどうぞ。



『実話裏歴史 SPECIAL vol.32』 (ミリオンムック)
ミリオン出版/600円

軍艦島:トンネルコンベア

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ブログをはじめた頃にシリーズでお送りしていた、
「あまり知られていない軍艦島」
約10年くらい前は、公開する媒体がウェブだけだったので、
一生懸命アップしてましたが、
その後、軍艦島の書籍を幾つも書くようになって、
いつのまにかアップすることもなくなってしまいました。

実際、昨年世界遺産に登録され、
あまり知られていないことも、ずいぶん無くなったと思いますが、
ブログにアップしていないことはまだまだあるので、
久しぶりにアップしようと思います。



今回はトンネル・コンベアと呼ばれる施設です。



トンネルコンベアは、俯瞰図の下中央、
スクリーンで囲ったエリアにある地下施設です。







スクリーンで囲ったエリアの拡大俯瞰図。
地下施設なので、当然地上からは見えません。
アルファベットは、続く画像に対応する記号です。







位置的には、内海側の炭鉱施設のあったエリアのうち、
製品になった石炭を蓄えていた「貯炭場」と呼ばれるエリアの地下になります。
右下手前の四角い穴が、トンネルコンベアへの入り口。
奥に見える列柱が、製品になった石炭を運搬した、
ベルトコンベアが載っていた支柱の跡です。







見学コースからほど近い拡大俯瞰図のA地点に、
1.5メートル四方の穴が2つ空いていて、
ここからトンネルコンベアへ出入りできます。
実際に人が出入りしていたのは、
エリア拡大図のAとBの間にある、
下に向いて伸びているトンネルの最下部で、
この場所は、堤防沿いの人道へと通じています。







トンネルコンベアはベルトコンベアの支柱を挟むように平行して2本あり、
その2本のトンネルを繋ぐ連絡通路が、
拡大俯瞰図のB地点で見られるトンネルです。
トンネルコンベアは、コンクリート製のボックスカルバートで、
高さは、2メートルほどです。
壁面には、かつて通電していたであろう電線ケーブルが残っています。







拡大俯瞰図の下の位置にあたるトンネルを右へ進むと、
画像のような漏斗状の構造物が天井に設置されています。(拡大俯瞰図C)
錆による腐食が進行して、下半分が崩れた姿に、
人の手が加えられない40年の時間を感じます。







上の画像のように、入口に近いものは崩壊が進行していますが、
トンネルの奥へ進むと、綺麗な形で残るものもありました。(拡大俯瞰図D)
これがトンネルの中で一番右にあるものです。
トンネルの奥から出入口の方を向いて撮影しているので、
遠くに出入口の光が見えます。

さて、
このトンネルコンベアは、何のために使われていたかというと、
製品になった石炭を、この漏斗状の構造物を通して地上から地下に落とし、
トンネルの床面に設置されたコンベアで運んで、
船積みするための施設でした。

普通の炭鉱には無い施設。
それは、土地があまりにも狭かったゆえに発想された、
軍艦島ならではの極めて特殊な施設でした。

漏斗の下部に取ってのようなものが見えます。
トンネル内での作業員が、手前に引いて、
上にたまった石炭を落とすためのものですね。







トンネルの終点、拡大俯瞰図でEの地点は、
画像にようにブロックで塞がれています。
約2メートルの高さで続くトンネルは、
このブロックの部分だけ、徐々に高くなっています。
上の部分がR状になっていますが、
この部分は地上に露出した部分にあたります。







これがトンネルコンベア終点の地上部分。
その形から斜坑(斜めに造られた坑道)の入口であるとか、
坑内排気口などといわれているのも見かけますが、
この構造物は、製品になった石炭を排出する出口です。







トンネルを出入口の方へ戻り、
最初の頃に見た連絡通路を通って、
もう一つのトンネルへも行ってみます。
拡大俯瞰図の上に位置するトンネルの左側は、
下のトンネルに比べて、左の部分が短く、
連絡通路からほどなくして閉塞しています。







右側は最初のトンネルと同じだけの長さがあり、
同様に、等間隔で漏斗施設が並んでいます。
奥にあるおかげか、
拡大図の下のトンネルに比べていずれの漏斗もほぼ原型を保っています。

あまり知られていないながら、
軍艦島ならではの施設、それがトンネルコンベアです。

シリーズ:あまり知られていない軍艦島 INDEX

軍艦島オデッセイ
オープロジェクト制作による軍艦島総合サイト。
軍艦島を詳しくお知りになりたい方はこちらをどうぞ。

東京陸軍第一造兵廠倉庫の再生

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2006年にアップした「十条逍遙 275号棟倉庫
あれから約10年。あの廃墟だった煉瓦倉庫は、
北区の図書館の一部として甦っていました。
復活したことは知っていましたが、
今年のはじめにやっと訪れることができたので、
ここにアップしておきます。



廃墟時代の様子は上記リンクをご覧ください。
東京第一陸軍造兵厰の倉庫として使われ、
その後GHQの接収時代を経て民間企業へ。
閉鎖後は廃墟として時間を積み重ねていた通称275号倉庫。
10年前の記事は、その廃墟時代に訪れた時のリポートでした。
その軍事施設が、悠久の時を超えて、
区立図書館の一部として、2008年(平成20年)に復活しています。



北区中央図書館のファザード。
クリックすると、かつての様子が表示されます。
かつては倉庫の背後になにもありませんが、
現在は、図書館のメインの建物が建っています。
細かなディテールは別として、
ほぼ当時の姿と同じような印象を受けますが、







横から見るとその印象は一変。
まるで図書館の建物が倉庫を飲み込もうとしているような外観にはビックリ。
公立の施設で、よくこんな設計が叶ったものだと、
ただ驚くばかりです。







クリックするとかつての外壁が表示されます。
窓枠や出入口などは改装されているものの、
大半を占める煉瓦の壁面がそのままなので、
10年前とそれほど印象が変わりません。
ちなみに廃墟時代の画像の壁面に残る「275」の番号は、
米軍の接収時代に付けられた番号です。







クリックするとかつての壁面の画像が表示されます。
外壁も、その印象はあまり変わりません。
それだけ、廃墟時代の倉庫が劣化していなかったとも言えます。







図書館の中も見てみましょう。
受付カウンターと書庫の間を仕切る煉瓦の壁が、
かつての煉瓦倉庫の外壁。
倉庫の外壁は、そのほとんどが当時のまま使われていて、
約半分が図書館の建物の中に組み込まれてます。
なお、煉瓦壁の内側には、
現代の建築技術によるコンクリート補強がなされているので、
耐震面では安全をきしている、とのこと。
事実、3.11の被害はほとんど無かったといいます。







また、館内にあるラチス構造の鉄骨柱も、
すべてオリジナルのもの&位置で再施工させています。
クリックすると倉庫時代の鉄柱の様子が見れます。







鉄柱の側面には「SEITETSUSHO YAWATA」の刻印。
八幡製鉄所製の鉄柱です。







特に館内の奥に立つ1本の鉄柱は、
その位置をいっさい移動せずに館内に組み込んだもの。
図書館の建設中、
基礎から倉庫時代のまま手をつけずに工事したというから驚きです。







一切手をつけずに甦った鉄柱の基礎部分は、
厚く張られたガラス越しに見学することができます。







さらに、天井のトラス構造も、
接続するリベットが同じ物がないという理由から、
オリジナルの接続のまま、
館内の設計図に従って必要なサイズに切断し、
そのままの状態ではめ込んだそうです。



細部に至るまでオリジナルにこだわった軍事施設の再生は、
その大胆な外観とともに、
これが公共施設の建築か?と思うほど、驚きに満ちています。
この倉庫が、単なる煉瓦倉庫だったとしたら、
かろうじて現存する近代遺産としての煉瓦建築を再生させる、
かっこうのサンプルとなるでしょう。

しかし、問題はこれが軍事施設跡ということです。
恒久平和を望むモニュメントとして残したのだとすれば、
その外観はあまりにもスタイリッシュで、
ともすれば「戦争はカッコいい」と思わせる仕上がりに、
疑問を感じます。

※館内の画像は北区中央図書館の許可を得て撮影したものです。
通常は館内は撮影禁止です。(外観は撮影可能)

砧下浄水場01:旧ポンプ棟

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「東京水」の名で販売されるほど美味しい東京の水道水。
その黎明期を伝える施設が、
世田谷区の砧(きぬた)というエリアにあります。

砧には「砧浄水場」と「砧下浄水所」の2つの浄水所があり、
今回訪れたのは「砧下浄水所」。
田園都市線の二子玉川から徒歩で約30分。
多摩川の河川敷沿いにある浄水所です。
Google Map

元来、東京の南西部は水質が悪く、
さらに大正初期からふくれあがった人口による水不足に対応すべく、
水道事業は急を要しました。
近代水道の父といわれる中島鋭治博士の指導のもと、
浄水場から給水施設、そして水道網が完成したのは1923年(大正12年)のこと。
この時に建造された配水施設の駒沢給水塔は、
その特異な外観から広く世間に知られています。



現在は東京都の水道局が管理する施設ですが、
かつては渋谷区の前身である渋谷町が運営した浄水場でした。
創建時は浄水場と呼ばれ、現在では浄水所となっています。
現在も現役の浄水施設なので、
当然警備は厳しく、今回は取材で許可を頂き、
見学することができました。







門柱に掲げられた手書きの看板が、
時代を感じさせてくれます。
なお、浄水所は過去に2回、一般公開の見学会が開かれていますが、
建物の老朽化が進行しているため、
現在では、見学会の開催予定はないそうです。







門から入ってまず目につくのが、
真っ青な瓦屋根の中央に尖塔を持つ「旧ポンプ棟」は、
大正12年の創業時に建てられた場内で最も古い建物で、
創建時の記憶を今に伝えています。
当初は多摩川からの揚水と駒沢配水塔への送水の、
両ポンプが設置されていました。







送水ポンプ棟の正面中央。
壁面の細部にまでアールデコ調のレリーフが施された、
素晴らしい昭和初期モダン建築です。







裏側にまわってみます。
正面に限らず、建物の外周すべてに気が配られた建物からは、
創建当時の水道施設への思いが伝わってきます。







こんな小さな施設にまで、
しっかりとデコ調のデザインが。







建物中央の上部に設置された銅板の尖塔は、
都内最古の駅舎である原宿駅を思い出します。
(画像クリックで原宿駅が表示されます)
原宿駅は1924年(大正13年)築なので、
このポンプ室と同じ時代の建設です。

砧下浄水場02:旧発電棟

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前回からアップしている、
近代水道事業の黎明期を伝える施設、
世田谷区の「砧下浄水所」の続きです。
構内の施設は東京都水道局の許可を得て撮影しています。
通常は構内の見学はできません。外周からの見学は可能です。



前回アップした旧ポンプ棟に隣接して建つのは、
旧発電棟と呼ばれる建物。
全面黄土色のスクラッチタイルで囲み洋瓦を乗せた、
こちらも昭和初期モダンスタイルの典型的な建物です。







特にRが美しい外階段は、
その色とデザインで、この建物を特徴づけます。
決して現代では造り得ない、
この時代ならではの趣を湛える素晴らしい外階段です。






当初、浄水場の電力は、京王電鉄からの購入でまかなわれていました。
しかし、緊急時の対応を考慮して、
自家発電に切り替えられた時に建設されたものです。







外階段の横の壁面に「工竣月八年七和昭 町谷澀」の銘板があります。
澀は渋の旧字。この施設が渋谷町によって造られた証です。
1923年(大正12年)に開業した浄水施設は、
1932年(昭和7年)に東京都の水道局に移管します。
ですので、この施設は渋谷町が運営した時代の、
最後の頃の施設ということになります。

砧下浄水場03:取水ポンプ棟

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前回からアップしている、
近代水道事業の黎明期を伝える施設、
世田谷区の「砧下浄水所」の続きです。
構内の施設は東京都水道局の許可を得て撮影しています。
通常は構内の見学はできません。敷地外からの見学は可能です。



前回アップした発電棟と同じ年の、
1932年(昭和7年)に建設された取水ポンプ棟は、
スクラッチタイルとアールデコ調のレリーフがいたるところに施された、
壮麗な建物です。
取水ポンプは、隣接する多摩川から水を取り込むポンプのことで、
おもに伏流水(ふくりゅうすい/地下水)を汲み上げていたようです。







正面の壁面に施されたエンブレムや、
先端に凝った意匠をあしらった柱状のレリーフ。
そして車止めの天部にまで造り込まれた装飾は、
これが公共施設の、しかも一般に公開されない施設かと思うほどです。







建物の正面のみならず、
側面にまでバランスよく施工されたデザインは、
ただ驚かされるばかりです。







建物のみならず、
玄関の両側に施工された植え込みにまで施されたデザインを見ると、
この施設に対する思い入れの強さが伝わってきます。

砧下浄水場04:その他の施設

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前回からアップしている、
近代水道事業の黎明期を伝える施設、
世田谷区の「砧下浄水所」の続きです。
構内の施設は東京都水道局の許可を得て撮影しています。
通常は構内の見学はできません。敷地外からの見学は可能です。



シリーズでアップして来た砧下浄水場の最後は、
その他の施設です。
旧ポンプ棟に隣接して建つ旧事務所棟は、
操業開始の翌年、1924年(大正13年)築といわれ、
窓枠がアルミサッシュに変更されている以外、
操業時の様子を今に伝える貴重な建物です。







かつての濾過池跡。
近年まで使用していたようですが、
ゴミの除去などの効率を考慮して、
今では使われていません。
画像奥の中央に写るのが砂洗室で、
濾過に必要な砂を洗浄する施設。
地味な外観ながら、
操業時の1923年(大正12年)築といいます。







これは取水ポンプ棟のすぐ横にあった水飲場施設。
コンクリートの質や劣化具合からいって、
創建当初の頃のものではないでしょうか。
今では、ほとんど用をなさないほど崩れています。







旧ポンプ棟の近くにある水飲場施設。
こちらも、その意匠から、おそらく創建当時頃のものと思います。







最後は敷地外へ出て、
多摩川河川敷の土手の上にあるとんがり帽子の空気抜き。
多摩川の伏流水を取り込む途中、
水道管の中で膨張する空気を抜いて、
管の劣化などを防止する装置です。



これ以外にも後年に設営された現行の施設がいくつもありますが、
それらは割愛させて頂きます。
これまでアップして来た創建時の記憶を今に伝える建物群は、
劣化が激しいため、内部へは入れない状態となっています。
このまま劣化が進めば、いずれは建て替えられてしまうかもしれません。
しかし、水道事業の黎明期を今に伝える貴重な建物なので、
現代の建築施工技術を駆使して、
なんとか存続させてもらいたいものです。

危機遺産!?築地の木造建築群

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昨年の10月15日、
歴史的建築物などの保存に取り組む、
アメリカのNPO「ワールド・モニュメント財団」が、
36カ国計50カ所の「危機遺産」リスト(2016年版)を発表しました。
リストの中には築地の近代の木造建築群が含まれています。

危機遺産とは、
早急に保存・修復などの措置が必要、
と判断される文化遺産を認定するものだそうです。

リスト入りした築地の建築群は、主に昭和初期以降に建てられた木造の約30件。
築地場外市場にある円正寺や、瓦屋根の「町家型」、
看板のような装飾を取り付けた「看板建築」の建物などが含まれるといいます。
財団によると、東京大空襲による被災を免れ、
高度成長期の「危機」も乗り越えて、
都市の魅力の一端を担ってきたことを評価したそうです。



リストに含まれる建築の一つの特徴である「町家型」は、
1階部分の屋根を若干張り出した構造にして造る建物のことで、
看板建築以前に、おもに商店を兼ねた家屋の建て方として流行ったもの。
画像の建家は、現在は仕舞屋の様子ですが、
2階部分より少し張り出した1階の瓦屋根の構造は、
典型的な町家造りです。







町家造りの建物の背後には、
木造長屋風の建物が並んでいます。
一見連続した建物のように見えますが、
ところどころ寸断されているようにも見え、
どこまでが一連の建物か判断しづらい構造です。

関東大震災以降、
三軒以下の長屋を優良、それ以上を危険と仕分けし、
三軒以下の長屋を残すような動きがあったようです。
現在、都内に残る長屋に三軒長屋が多いのは、
そういった事情があったようです。







木造長屋に隣接して、3階建ての看板建築も残っています。
看板建築は、文字通り看板のような建築で、
建物の前面を平面状に施工し、
その面を看板代わりに使ったことに由来します。
しかし、その施工方法だけが一人歩きして、
やがて銅板張りやコンクリート製の看板建築が造られるようになります。
現在、東京の特に東部に多く残存する看板家築は、
派手な広告等が施されていない、
よく言えば渋い、悪く言えば地味な看板建築がほとんどです。







屋根の上に施工された木製のベランダも、
めっきり見なくなりました。
窓の外に張り出した外階段の昇り降りは、
かなり勇気がいりそうですね。







築地の街中を歩いていると、
こういった路地に出くわすのも魅力です。







危機遺産のリストにアップされている、
場外市場の円正寺とそれに付随する看板建築の店舗。
かつて、寺の運営費を稼ぐために、
敷地の一部を店舗に貸与した名残だそうです。
寺と同居する木造店舗と緑青の吹きまくった看板建築は、
珍しい光景です。








場外市場の中にある看板建築群。
築地市場は、今年11月の豊洲市場開業にあわせて移転が決まっています。
その結果、従来築地市場と歩みを共にした場外市場が、
そのまま取り残される形となります。
現在、「築地魚河岸」という名のショッピングセンターの建設等、
場外市場のまま存続する計画が進んでいるようですが、
歴史ある築地市場の遺伝子を伝える場として、
ぜひとも存続して欲しいものです。
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